読書リレー(32) 三田紀房「徹夜しないで人の2倍仕事をする技術」から考える「働き方改革」

 

この本は去年のちょうど今頃始めて手にとって読んだ本なのですが、ふと思いつくことがあったので、もう一度この本を読んでみました。 三田紀房氏はご存知の通り、「ドラゴン桜」、「インベスターZ」を生み出している有名な漫画家で、その方が自身の仕事に対する考え方について述べた本です。内容自体はコンパクトにまとめられており、すぐに読み終えることができます。ただし、内容としては非常に考えさせられるものになっています。ちなみに、タイトルに「徹夜しないで人の2倍仕事をする」とありますが、どうやったら「2倍の仕事をするか」という点が書かれているのではなくて、「仕事そのものに対する考え方」が書かれています。

 

漫画家というのは、素人の私ですらわかるほどの、とても大変な仕事です。漫画は基本的に週刊誌に連載がされていますが、あれだけのページ数を、ストーリーも考えながら、アシスタントも巻き込んでチームで作業を行なって、一つの作品として仕上げる。当然、とてつもない作業が必要になるわけで、よく漫画家さんの中では「徹夜してなんぼ」というような考えをされる方多いようです。しかし著者は、そうした考え方に疑問を投げかけています。

 

著者は、そもそも漫画家の仕事は「徹夜しなければならない」ほど忙しいのか?というところに着目し、根性論ではなく、「効率的にする」ということを考えます。忙しさという手段が目的化し、忙しくあるべきだという妙な根性論に陥ってしまうと言います。そうではなく、いかに効率的に行えるような仕組みを作っていくか、著者の言葉を借りれば、「組織のパフォーマンスを上げたいなら、やはり決まりを作って社員の行動を変える「仕組み化」が欠かせない」というのです。

 

他にも、この本の中には、「アイディアの生み出し方」「行動のとりかた」などなど、様々な分野で生かすことができそうなエッセンスがつまっており、短い内容の中に実践すべき点がとても多いように思われます。しかし今回は、この「効率化」に焦点を当てたいと思います。

 

特に一昨年の末あたりから、いわゆる「働き方改革」というものが動き始めました。いつのまにか、「長く働くことが美徳」というような妙な方向に仕事観が進んでしまった結果、過労死などのセンセーショナルな報道があったのは記憶に新しいことです。大手広告代理店に始まり、大手電機メーカー、放送局など、日本を代表する名だたる企業で次々と、若くして亡くなられた、もしくは心の病になってしまった、というトピックで盛り上がっていたと思います。そして、その流れから「こうした悲しいことが二度と起きないように、働き方の考え方を変えなければならない」という世論が高まり、最終的には「働き方改革」につながっていったのだと思います。

 

しかし、その内実を見ると、成功したとは言い切れないところがあります。なぜなら、施策が根本的な解決につながっていなかったからです。施策というのは、「無駄な業務を減らし、定時に退社できるようにする」というものでした。また、月末には「プレミアムフライデー」と称し、午後3時には退社できるような制度を政府主導で行なっていきました。しかし、実際のところ、「早く帰る」というところだけが一人歩きし、肝心の「無駄な業務を減らし」という点についての議論があまりなされていなかったように思われます。例えば、私の友人界隈でも、「定時に退社はできるけど、結局PCを持ち帰って家で仕事しているだけ。」というような声をよく聴きました。また、時間給契約の場合残業代がつかないこともあり、これらの施策のおかげで給料はダウンした方は多くいらっしゃると思います。「残業したくないが残業せざるを得ない」というような根本的な制度には何も手をつけず、目に見えるところだけとりあえず片付けたような、そんな印象を受けます。言論界でも、日本の生産性の低さを嘆く声が多くありましたが、最終的にそうした懸念は解決されないまま、この動きが終息に向かいつつあるのではないかと懸念しています。

 

なぜこうなってしまったのか?私はスタート地点が原因と思います。そもそも、この「働き方改革」のスタートは不思議なものでした。それは前回のブログ記事でもあげた「センセーショナル」なスタートだったからです。その時にもあげましたが、この「働き方改革」のスタートは、2015年の難民施策と似ているところがあります。2015年、難民の男児の遺体が海岸に打ち上げられている写真がきっかけとなって、ヨーロッパ中で一気に難民保護に対する熱が高まった時期がありました。しかしながらそもそも難民というのは、2015年以前にも大多数いたわけであり、その写真を機に難民の数が急増したわけでもありません。ただし、多くの人は、そのセンセーショナルな写真に心を動かされ、行動に移したのです。それと同じで、当時報道では、入社してまもない「若く」「有望な」「女性の」社員が、長時間労働によって犠牲となってしまった、という点がかなり強く露出されました。そのため、「かわいそうだ」「なんとかしなければ」というような動きにつながっていきました。しかしそもそも過労死というのは、この人以外にも大多数いたわけであり、この報道によって過労死が急増したわけでもありません。多くの人は、そのセンセーショナルな報道に心を動かされ、社会が行動に移したのです。この二つは異なるようで非常に似通った構造をしています。

 

このため、「長時間労働がかわいそう」という感情面での議論が一人歩きし、それの対策として「長時間労働をやめる」というあまりにも単純化してしまった構図が生み出されてしまったのではないでしょうか?センセーショナルな事柄には、センセーショナルな対応しかできません。そのため、その背後にあった種々の問題は解決されないままになってしまったのではないかな、と思ってしまいます。

 

ただ、このセンセーショナルな構図が、最近日本で多いのではないかなと感じてしまいます。特に思ったのが、高校サッカー選手権をめぐる一連の議論です。高校サッカー選手権といえば、お正月に行われるサッカーの全国大会。日テレ系列のテレビ局が放送することもあって知名度・注目度もそれなりに高く、多くのサッカー少年はこれを目標に練習に励んでいることだと思います。しかし、今年は少し違いました。今年になって初めて、「選手権の日程がタイトすぎる。選手たちがかわいそうだ。」という議論が出始めているのです。この議論は、準優勝した高校の監督の試合後のコメントを機に拡散、日本代表の長友選手も自身のSNSで意見を表明するなど、少し大きな話に発展しているような気がします。しかし、少し立ち止まって考えると、そもそもこの日程は今年から始まったわけではなく、前々から同じだったわけです。

 

私の親戚に、実際に高校サッカー選手権に出場した子がいます。その子は高校生活を全てサッカーに捧げ、朝起きてから寝るまでずっとサッカーに打ち込んでいました。惜しくも二回戦で敗退してしまいましたが、その時のエネルギーはとてつもなくすごかったと、記憶しています。こうした身近な例を知っているために、「選手たちがかわいそうだ」という議論には違和感を感じてしまいます。もちろん、私自身が出たわけでもないので、門外漢の意見かもしれません。確かに、身体に負担を与えることはいけませんが、それでも「かわいそうだ」というセンセーショナルな議論で、人々が「頑張る」場を無くしてしまうのはどうなのかなと、思ってしまうわけです。本質を見失わない必要があるのかな、と思うわけです。

 

そんなことを考えながら、ふと、この本の内容を思い出しました。この人は「漫画家の仕事」という常識を打ち破り、最高のパフォーマンスを出すために別の考え方(=仕組みによる解決)を目指しました。センセーショナルな方向に議論が発展する前に、こうした観点からの再考もありなのではないかなと、思ってしまいます。

 

では、では