Se projeter dans l'avenir 〜INSEAD MBA留学記〜

2018年8月からINSEAD MBA留学。MBAで感じたことについて毎日つづります

水谷竹秀『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』〜読書リレー(65)〜

 フィリピンから見えてくるのは、日本社会にはびこる「自己責任論」の息苦しさなのかもしれません。

 

 

フィリピンに滞在する「困窮邦人」に焦点を当て、複数人に対し取材をしたものをまとめている本です。聞き慣れない言葉ですが、困窮邦人というのは、海外で経済的に困窮状態に陥っている在留邦人のことを指します。ただし困窮状態はかなりひどく、所持金を滞在先で使い果たしてしまったがために、路上生活やホームレス状態を強いられているような状態を指します。

 

この本でも取り上げられていますが、日本外務省の海外邦人援護統計によると、2010年に在外公館に駆け込んで援護を求めた困窮邦人の総数は768人だそうです。このうち、フィリピンが332人と最も多く、2位のタイ92人を3倍以上引き離しています。そして、2001年から10年連続で最多を記録しているというのです。

 

なぜここまでフィリピンに困窮邦人が多いのか?困窮邦人の大半は、日本のフィリピンクラブで出会った女性を追い掛けてフィリピンまでわたる日本人男性だというのです。彼らは大抵、有り金の全てをフィリピンに持って来ますが、現地で定職にありつけず、また頼りにしていたフィリピン女性からも金銭的援助を求められ、徐々にお金がなくなっていきます。こうして縁もない土地で財産を失い、困窮していくのです。こうした男性は、日本にも親族などの身寄りがなく、仕送りなどの経済的援助すらもえられることができません。そうした生活の生々しさを、この本ではこれでもかと記載しています。

 

ちなみに、こうした困窮邦人を救済する法律というのもあるのですが、今はその法律を適用して困窮邦人を助けるというような動きは多くはないそうです。理由としては、「こうして自分の都合でフィリピンまで来ているのだから、この救済法律で適用するのはおかしい」という点と、「自分の責任で招いたものを国が面倒みるというのは、税金を支払っている国民からの怒りを買う」という点があるそうです。また、過去にこの救済法を用いて貸付を行った場合、大抵は返済はなく、債務が膨れ上がっている、というデータもあります。

 

この本のあとがきにもありますが、著者がこの本を読んだあと、読者の反応は真っ二つに割れたそうです。一つが自己責任論をベースにした、「彼らはどうせ駄目人間なのだから、同情もできない」というもので、もう一つは、自戒を込めて「いつ自分がこうなるか分からない。他人事とは思えない」というものだったようです。

 

私としては、後者はおそらく同世代の男性陣からの意見かと思いますが、前者の意見がとても気になります。彼らの考えのベースになっている「自己責任論」、すなわち、「それは自分で選んだ道なのだから、自分で最後まで責任を取るべきだ」というものです。これは非常に威力がある考え方です。確かに、フィリピンまでいくという行為をしたのは、困窮してしまった彼ら自身の判断によるものです。多くの人が、その自己による意思決定を尊重し、その意思決定によって招かれた結果については、自分が責任を持って対応する、というのは、至極当然なことのように見えて来ます。

 

しかしながら、ここに二つの罠があります。一つは、彼らの意思決定そのものです。言い換えれば、そもそも彼らは意思決定をしていたのか?その道を選ばざるをえない状況まで追い込まれていなかったか?という点です。この本では、困窮邦人のバックグラウンドが書かれていますが、多くの人が、不安定な雇用の中に生き、なんらかの形で日本での社会的つながりが失われて言った人々です。日本に身寄りがない人たちに対して、一般レベルでの意思決定を推奨し、その意思決定に対しても責任を負わせるというのは、いささか厳しい対応ではないのでしょうか?

 

二点目に、意思決定においての情報です。困窮邦人たちは、フィリピン行きを決断した時点で、自身が困窮し日本に戻れないという事態を想像できていたのでしょうか?おそらく、彼らの視線にはそういったリスクはみることはできなかったと思います。周りに情報がない中で、こうした結末に至ったのは想定外だったかもしれません。そうした状況に立たされた人たちに対しても、自分の責任で、というのはかなり冷たく感じてしまいます。

 

そもそも、こうした自己責任論というのは、コミュニティにとってはとても怖い考え方です。人は一人では生きていけないというのは当たり前ですが、この自己責任論というのは、ある種そうした社会的つながりを断ち切るようなメカニズムをはらんでいます。これが過剰すぎると、排除のメカニズムに至ります。すなわち、あなたが勝手に決めたことだから、あなたが責任とりなさい、私には関係ない、というものです。こうした考えが蔓延して言った暁には、相互扶助も何もない世界になります。

 

例えば待機児童の話。問題が申告しているのにもかかわらずなかなか解決に向けた次の一手が見えてこない。これも自己責任論が関係しているのでは?と考えてしまいます。すなわち、

(A)待機児童という問題があり、働きながら出産というのは困難であるという環境だ。

(B)ところで、あなたは子供を産んでしまった。それは自分の責任だ。

(C)保育園に落ち困難に直面しても、それはあなたの責任だ。

というロジックです。フィリピンの困窮邦人との比較をするなと言われそうですが、同じロジックだと思います。

(A)困窮邦人という問題があり、日本に帰ってこれないリスクがある

(B)ところで、あなたはフィリピンに行ってしまった。それは自分の責任だ。

(C)困窮邦人になったとしても、それはあなたの責任だ。

 

こう考えると、すごく怖い三段論法です。

 

この辺りの話は、最近とても興味があるので、別の本の際にも紹介しますが、何れにしてもこの本を読んで少し寂しくなってしまったのが、率直な感想です。

 

では、では