「MBA不要論」について考えてみた①

MBA不要論を唱える前に、その根底の考えを疑うべきかと

 

日本のビジネススクールは行く価値があるか? (ニューズウィーク日本版) - Yahoo!ニュース

 

今日見つけた記事で面白いものがあったので、紹介と共に私のコメントを入れたいと思います。タイトルはまさに直球勝負で「日本のビジネススクールはいく価値があるか?」日本のビジネススクールの関係者が見たらクレームでも入れそうなトピックですが、内容は的を得ているものであり、納得できます。

 

この記事では、概ね「日本のビジネススクール」が百花繚乱の乱立状態になっており、教授や学生の質などで欧米のトップスクールと明らかに劣っていると指摘しています。その差は大学ランキングにも反映されていて、日本のMBAプログラムは100位以内にすらも入っていないような状態です。

 

加えて、日本に問わず、MBAの学位が日本で働くことにおいて必ずしもプラスになるとは限らず、昇給・昇進に関係ないという日系企業が大多数です。このため日系企業で働くほとんどの日本人にとっては、MBAプログラムは不要である、というのがこの記事の主な内容です。

 

また、最後に筆者は、「ビジネスの世界で活躍している人は、必ずしもMBAホルダーではない」という点を強調し、MBA一辺倒のキャリア形成の再考の必要性を唱えています。

 

こうした「MBA不要論」は多くの論者に見受けられますが、今回はとくに日本のビジネススクールに絞ったものとなっています。全般の「MBA不要論」については、別のところでゆっくりと議論するとして、こうした「日本のビジネススクール不要論」には、3つの「理由」が隠されているのですが、これら理由について、再考の必要があるというのが、私の意見です。

 

以下は「MBA不要論」に見受けられる3つの理由です。

 

①日本でのキャリアには役に立たないから、日本のビジネススクールはいらない

これは最も多く見受けられる議論なのではないでしょうか。人がMBAにいく目的というのは、キャリアアップのためです。この記事でも掲載されていますが、特に欧米のトップスクールだと、学費だけで1000万円を越すスクールがごろごろ存在しています。(私が行くスクールも学費だけで1200万円近く…)この金額は非常に高く、MBAを検討する20代〜30代にとっては、かなり大きな金額となります。それでもなお、ビジネススクールが多くのビジネスパーソンを魅了するのは、MBA後に明確なキャリアアップの像が見られるからです。MBA卒業後、アメリカにおいては多くの企業が、MBA卒業生を年収が1000万円を超えるポストで迎えることになるため、学費をペイできるわけです。このため、こうした天文学的な学費も、「投資」として見ることができるのです。

 

しかしながら、日本の場合だと少し状況が異なります。日本のスクールを卒業したからといって、欧米のトップスクールと同様の待遇が、得られるかというと、そうではありません。日本のビジネススクールを卒業した方々は、基本的には日本人が多いために、日本の企業にキャリアを求めることになります。しかしながら日本の企業はそうしたMBAホルダーを破格の待遇で雇いません。依然として緩やかな年功序列的文化が残る人事評価のため、内部のバランスを考慮し、破格のオファーを提示することはありません。このため、日本のビジネススクールの場合には、費用対効果の「効果」の部分が薄れてしまっているというのが、現状なのです。

 

しかし、ここでもう一度考えるべきなのが、「日本企業のキャリアは果たして魅力的なのか?」という点です。「日本のMBAを卒業した人は、日本企業に職を求める」という考えを、疑う必要があると思うのです。そもそも、日本企業は一部を除き、ほとんどのキャリアを社内で過ごすことになります。まだ年功序列の考えが色濃く残る人事制度の中では、社内で様々な経験をさせた上で、管理職へとステップアップさせていきます。日本企業にとっては、職場こそがビジネスの教室なのであり、ビジネススクールなどはあくまでも実践とは別と考えるのかもしれません。こうした「キャリアの考え方」の食い違いが、このような日本のビジネススクールの境遇を作り出しているのでしょう。こうした状況の中で、問題視されてきたのは日本の企業におけるキャリアの考え方ではなく、日本のビジネススクールが描くキャリアの考え方でした。

 

しかし、その視線を変える必要があるのではないかと私は考えるのです。すなわち、「日本の企業におけるキャリアの考え方」について、真剣に議論すべきなのではないかというのが私の主張です。現在は最高益を叩く日本企業も多く、一見すると繁栄の時代を謳歌しているように見えます。しかしながら一方では、業績不振や不祥事などにより、事業切り離しや人員削減など、抜本的な改革を進めている企業が少なくありません。こうした流動性の高まりを前に、明日事業がなくなる、といったことが日常茶飯事的に起こりうる時代なのです。しかし一方で、日本の人事制度は、企業が永年続くものという想定に基づき制度設計されています。あくまでも会社の中で通じるスキルをゆっくりと醸成しようという考え方です。ここに、人事制度が求める理想と、現実に大きな食い違いが発生しているのです。このため、例えば事業が切り離され、外に出ざるを得なくなった時、その事業に特化したスキルばかりを持ってしまったビジネスマンは、人材として全く使い物にならない、といった事態が発生してしますのです。

 

以上から、「日本でのキャリアには役に立たないから」という大前提にクエスチョンマークがついてしまう現在の状況においては、この認識自体が成り立たなくなる、という点も考慮しなければなりません。

 

②欧米のビジネススクールに比べて質が劣るから、日本のビジネススクールはいらない

これは、この記事にも紹介されていますが、日本のビジネススクールは、そもそも世界で戦えていません。QS Rankingでは100位以内に入っていないのはもちろんのこと、一番信頼性が高いとされているFinancial Timesのランキングにおいては、そもそも英語のプログラムでないという時点で、評価の対象にすらなっていません。

 

では、質が劣るから、日本のビジネススクールはいらないということになるのでしょうか?私の答えは「ノー」です。なぜならば、世界を見ると、様々な取り組みによりアメリカのビジネススクールに肩を並べるプログラムを磨き上げていったビジネススクールが多数存在しているからです。

 

欧州のスクールはその最たるものでしょう。ビジネススクールといえばすぐアメリカをイメージします。確かに、このイメージは1990年代から2000年代前半まではあっていて、世界的に評価されているビジネススクールというとアメリカにしかなかったのです。しかしながら、そうした構図は近年崩されつつあります。その実例として、一番信頼性が高いとされているMBAランキングにFinancial Timesがあります。その最新版ランキングの上位5位に属するスクールのうち、2校はヨーロッパのスクールです(INSEAD(2位)、LBS(4位))。LBSに至っては、昨年版を除き2005年から継続してトップ5の座をキープし続けています。しかし、こうした動きが見られるようになったのは2000年代に入ってからのことなのです。

 

では、なぜこれらのスクールが評価されるようになったのでしょうか?理由は、その明確なコンセプトにありました。これら欧州のスクールは、アメリカに対抗すべく、アメリカのビジネススクールにない特色を打ち出していきました。まずは多様性。アメリカの場合、65%がアメリカ人で構成されており、また留学生もほとんどがアメリカ育ちやアメリカに留学経験の或る人々で構成されています。一方でヨーロッパのスクールでは、Diversityをモットーに、留学生比率が90%以上で維持されています。また、カリキュラムも、アメリカのケースに傾倒するのではなく、グローバルな視点を培うべく様々な国・地域のケースが取り上げられるようです。こうした取り組みにより、歴史では劣るものの、徐々に評価を上げていったのが欧州のビジネススクールなのです。

 

このように、他にないユニークなプログラムを打ちたてることによって評価を上げているスクールは、欧州にとどまりません。近年では、発展著しい中国やインドのスクールが評価を上げています。

 

これらの例からもわかる通り、現時点で質が劣るからという理由で、日本のビジネススクールがいらないというのは、かなり短絡的な見方であると言えるでしょう。世界でも評価されるような明確なコンセプトを持ち、世界中のビジネスパーソンを魅了するプログラムを提供することができれば、日本のビジネススクールの価値は必然と高まります。その価値向上には時間がかかるため、今の時点で見切ってしまうのは早いのではないかと思うのです。

 

MBAに頼らないキャリアがあるはずだから、日本のビジネススクールはいらない

これも多くの人が議論しています。そもそも、MBAはキャリアに必要なのか、という「そもそも論」からスタートして、MBAだけが全てであるとは限らないから、日本のビジネススクールはいらないのではないか、という結論に持っていくという議論です。

 

こうした議論でよく見られるのは、MBAで培われるロジカルシンキングなどの論理的思考力よりも、アートや美意識といった感覚を培うべきだという論調です。確かに、コミュニケーション論などを中心に、人間の心理面に焦点を当てた研究が次々となされていっています。これらでわかっていることは、最終的に人を動かすには、論理的な思考能力ではなく、直感や感覚などのEmotionalな面が有効だということです。こうした研究成果を根拠に、ロジカルシンキングだけではこの世の中は動かせない、だからMBAはいらない、という話になっていきます。

 

 

しかし、こうした美意識などのいわゆるアート的感覚というのは、教えられるものではありませんし、人それぞれ違うことこそが重要とされています。一方、MBAはビジネススキルの構築に重きがあるため、一定以上のある程度平準化されたスキルを大量生産するために存在しています。このことから、そもそも比較対象の前提条件が異なっているのです。MBAを無くしたからといって、MBAに頼らないキャリアが増えるかというと、そういうわけではないのです。

 

以上見てきた通り、こうした「MBA不要論」を支える3つの理由について、いずれも認識の誤りが見受けられる、というのが私の意見です。とはいいながら、実際に私もまだ経験したことのない事柄ですので、果たして本当に不要かどうかというのはわからないわけです。こうしたところを、実際に経験することで見極めていければなあ、と思う今日この頃なのでした。

 

では、では