江夏 幾多郎『人事評価の「曖昧」と「納得」』〜読書リレー(91)〜

 この時期は、会社勤めの方ですと、人事異動などの社内のニュースが取り上げられることが多いと思います。「〇〇はあそこに行った」「あの部署は若返りがなされた」などなど、ゴシップベースから事実ベースで、ありとあらゆる情報が飛び交います。つくづく、人間ってそういう噂話が好きなんだなと思ってしまう季節ではありますが(もともと、人間の言語はそうしたゴシップを伝えるために発達したという学説もあるようです)、その移動の根底にあるのは、人事評価な訳です。

 

しかし、人事評価というと、よく耳にするのが不安や不満といったネガティブな声です。具体的には、「私はあれだけ頑張ったのに、どうして評価されないんだ!」という絶対的なものから、「私はこの部署の中では一番成果を上げたつもりだが、報酬が納得いかない」といった相対的なものまで多種多様です。どんなに人事部の方々が試行錯誤して考えたとしても、そうした社員からの種々の不安は払拭できていないような気がします。

 

なぜ、そうしたことが起きてしまうのか?江夏氏によると、人事評価自体がそもそも難しい、すなわち「人が人を評価する」ということがとても難しいために、この問題はなかなかなくならないといいます。

 

特に江夏氏が取り上げているのが、評価の際に評価者が陥ってしまうバイアスの数々です。有名なものでは、本来であれば全体的な視点から評価を行うべきなのに、評価される人の良い点や悪い点が目立ってしまい、そこから全体を評価してしまうというプロセスを取ってしまうというような「ハロー(後光)効果」や、自分がよく知らないことについては差し障りのない評価をして、逆に自分の得意分野については厳しい評価を下す、という「対比誤差」というバイアスなどがあります。この本ではもっと多く掲載がされているのですが、その一つ一つを取っても人間が陥りやすそうなバイアスがここでもかと潜んでいる、というような状態なのです。

 

また近年では、会社組織が複雑化するにつれて、評価者と被評価者の物理的な接触機会が減少している、というような問題も指摘されています。バーチャル組織などを取るような組織の場合、直属の部下が違うオフィスにいる、なんてことはざらにあるわけです。

 

さらには、これも会社組織の複雑化により、評価者と被評価者のバックグラウンドが全く異なるということも生まれてきました。例えば部下が外国籍だったり、自分よりも社会経験豊富な年上だったりすると、評価する側も一苦労するわけです。

 

こういった点から、人事評価を完璧にすることはできないとし、逆に開き直り、「そもそも不満の芽を全て潰すことはできないのだ」ということを説明することで、従業員に大人になってもらうというアプローチが重要なのではないか、と著者は述べています。確かに、無理をして「公平公正な人事評価を目指す」と公言しても、上記のような問題から実現はほぼ不可能なのです。闇雲に頑張って結果的にダメでしたというわけではなくて、あらかじめ従業員の期待値をコントロールすることこそが、大事だというのが本書の主張です。

 

私は中間管理職という立場ですので、評価する側でもあり評価される側でもあるのです。そうした経験の中で感じるのが、こうした人事評価は、評価者にとって扱いづらい事象なのですが、これを臆することなく、いかに評価に真正面から付き合い、従業員とのコミュニケーションを高めていくか、これしかないと思います。事実この本でも取り上げられていますが、多くの管理者が、人事評価という扱いづらいトピックを前に逃避行動に出ているのです。1999年と古いデータではありますが、従業員に人事評価について調査を行なったところ、従業員本人に直接、しかも評価結果だけではなくそうなるに至る背景情報も含めて伝える、ということはほとんど行われておらず(五・四%)、また上司(評価者) がそれを伝える、ということもあまり行われていません(一二・二%)。こうした行為は、従業員の立場からすると、自分たちの評価が自分たちにもわからないようなブラックボックスの中で行われている、という不安を抱く結果にしかつながりません。こうしたことを防ぐためにも、不完全でもいいので「見える化」するしかないと思っています。

人事評価の「曖昧」と「納得」 (NHK出版新書)

人事評価の「曖昧」と「納得」 (NHK出版新書)

 

 

では、では