猪瀬直樹、田原総一朗『平成の重大事件 日本はどこで失敗したのか』〜読書リレー(153)〜

 

 

改元まで一年を切った2018年。この年になってから、本屋の本棚を見てみると、平成とはなんであったかを総括するような書籍がちらほら見られるようになりました。この本もそうした一冊のうちの一つで、作家・ジャーナリストとして日本の言論を牽引する二人の対談方式による、平成の振り返りともいえるべき本です。

 

タイトルにある通り、この本の特徴は平成という時代を「失敗」で総括しているところです。政治・経済・外交(安全保障)・社会という大きな観点から全て網羅的に見ているのも特徴的で、なぜ「失敗」といえるのかを浮き彫りにしています。

 

2度も政権交代をしていながら、「対米従属」の考えや官僚を中心とする政治は変わらず。経済面では、アベノミクスはあったにしても、バブルの崩壊以降経済を立ち上げる起爆剤は未だ見当たらない。むしろ、人口減社会などの問題が顕在化するばかり。一方で、先の大戦歴史認識は構築されないまま時間だけが経ってしまった…等等。

 

この本を見ていると、日本が問題なのは、言い換えれば失敗したのは、時代のニーズに応じて変われなかったことにあるのではないのかなと二人が考えている節があります。例えば政治の官僚主義にしても、高度経済成長時代の民間の力が弱かった時代には、官僚が主導して行くべきでした。しかしながら、その体制が現在になっても継続し、規制官庁として大きな権力を握ってしまったと述べています。

 

また、経済にしても、日本的経営について述べられています。曰く昭和の時代に年功序列企業別組合・終身雇用がうまく行ったのは、冷戦のレジームの中で労働組合がしっかりとイデオロギー的基盤を持っていたからだと言います。この中で、社員が企業に対してアイデンティティを依拠できる場を作りつつ、長期的な労働力を提供するというwinwinの関係を作り上げていました。しかし冷戦体制が崩れた中で労働組合イデオロギーの基盤を失って弱体化していきます。この結果、企業が株主の利益ばかりを考えるようになって行ったと言います。企業が社員を日本的経営によってつなぎとめる必要はなく、株主満足のために単純なコストとして考えるようになります。日本的経営の崩壊です。

 

しかし、日本的経営はまだ続いています。年功序列・終身雇用といった、ある意味で社員に対しては企業に自身のアイデンティティのよりどころにしようとする体制をそのまま維持する。こうした日本型経営が立ち行かなくなっているのに、その体質を無理やり守ろうとするから、ほころびも生まれているといい、近年日本企業の粉飾決算が相次ぐのもこうした要因があるのではないかと指摘しています。

 

そもそも「変化するもの」というのは、日本の文化の根底にあるものでした。日本の歴史から見れば、平家物語では「諸行無常」を歌っていますし、自然災害が多い島国において、仏教の考えがあいまって、今形のあるものはいずれなくなるというもののあはれ的な考えが主流だったと考えます。

 

しかし、平成というのはどうやらその日本の本来のアイデンティティからは外れた、「変化を恐れる」時代だったのかもしれません。なぜそのようなマインドになってしまったのかについて、引き続き様々な本を読み進める上で考察を進めていきたいと思います。

 

では、では