最後の授業で、日本の社会問題について考える

今日は私にとって最後の授業でした。「私にとって」というのは、どの選択科目を履修しているかによって終わるタイミングが変わるためで、早い人だと1ヶ月前に終わっている人もいます。

 

兎にも角にも、これで終わりです。必須科目15、選択科目12の合計27コマ、計567時間の授業は、こうして終わりました。

 

そしてそれらを振り返ると、何か具体的なものを学んだというよりは、様々なトピックで色々と考えさせられる日々だったなと感じています。もちろん、コア科目を中心に新しい知識を習得することができました。しかしそれらは、どちらかというと今まで自分が勉強してこなかった範囲においての、非常に薄い内容になってくるので、新しいものを得た!という感動よりかは、自分はああこれを見逃していたんだなという反省の方が大きかったような気がします。それ以上に印象に残っているのが、ケースを通じての「いやまてよ、こんな場合はどうするんだ」と言ったような、答えのない問いであり、そんないまだ解決できていないオープンクエスチョンがいくつも私のノートに蓄えられています。そういうわけで、内向型人間の特性を十分に生かし、このブログ等を通じたリフレクションを通じて考えのストックを貯めて言ったような、そんな一年だったのかもしれません。

 

今日の最後の授業も、またそんなINSEAD生活を象徴するものとなりました。この授業のタイトルは、Business Sustainable Thinking。持続可能なビジネスについて考えるというものですが、メインとなるのは、ビジネスオペレーションの理論をベースに、国連が提唱するSustainable Development Goalsという17の目標について、ビジネスの観点からどのようなアプローチができるのかというものを考えていく授業です。

 

実は私、この授業を取っておいてはなんなのですが、あまり社会起業家というものについて良い目で見ていません。松下幸之助の思想にどっぷり浸かってしまい(笑)、「この世に社会に役に立たない仕事はない。お金をもらっている以上何かしら社会に貢献している」という考えの持ち主ですので、ことさらに社会貢献を謳う社会起業というものについて、うさんくささを感じてすらいました。そんな中でなぜこの授業を取ったのかというと、とは言いながらも資本主義の限界については興味があったし、そうしたうさんくささをどうやって理論武装するのか、という論理展開の組み立て方に単純に興味があったという非常にひねくれた理由です。そして、今日その最後の授業があったわけです。あとは、Sustainablityに出てくるサーキュラーエコノミーという概念についてもう少し理解を深めたい、という気持ちもありました。渡航前に日本で関連する書籍を読んだのですが、それの知識の整理をしたかったのかもしれません。 

サーキュラー・エコノミー デジタル時代の成長戦略

サーキュラー・エコノミー デジタル時代の成長戦略

 

 

最後の授業では、授業の中で各グループが、Sustainable Development Goalsから任意で一つを選び、それの解決に役立つ新しいビジネスモデルを提案するというものでした。我がグループは、アメリカ人・ベトナム人・台湾人そして私のグループで、シンガポールにおけるホテル産業の食品廃棄物をなくすビジネスモデルを発表、なかなかの好評で終わることができました。本来ならばそれで気持ちよく終わるはずだったのですが、そのあとのグループの発表が私を非常に憂鬱にさせてくれました笑。というのも、そのグループのトピックが、日本の女性不平等を解決するモデルだったからです。

 

そのグループでは、エンジニアに着目し、理系における男女比のばらつき(そのグループのプレゼンによると、2015年時点で女性比率は15.7%)を解決するための企業の採用活動の改善を試みるというのがビジネスモデルの主旨でした。その授業では私が唯一の日本人だったので、そうした悲惨な状況が取り上げられ他の国からの学生が、「マジかよ、そんなひどいのか」という表情をするのを横目に見るたびに、少し肩身の狭い思いをしました。教授は、Gender Equalityについて政策ではなくビジネスモデルとして取り上げたのは興味深いと締めくくっていましたが、個人的には腑に落ちません。それは二つの観点においてです。一つがジェンダーについて、もう一つが、「エンジニア」についてです。

 

従来、女性平等の取り組みを行うのは政府や地方自治体でした。実際に日本においても、内閣府男女共同参画局という組織があり、毎年男女共同参画白書というものを発行しジェンダー平等についての提言を行なっています。

www.gender.go.jp

 

こうやって数字で見れば、ああ、それなりに女性の社会進出ができているんだな、という実感が湧くのですが、どうしても肌感覚では理解が進みません。そして、政策がうまく機能しているとも思えません。

 

そこで、労働者の内訳を見てみると、一つの考えが浮かび上がります。女性のほとんどが非正規雇用者となっており、ここにおいて男女の差が顕著に見られます。ではなぜ非正規雇用者が圧倒的に多いのかというと、これは一つの仮説に過ぎませんが、出産・子育てを経てキャリアが断絶されてしまい、男性と同様のキャリアを歩めなくなってきているというものです。以前も日本の総合商社の大手である伊藤忠商事を取り上げた番組内で、育休・産休を取得し復帰した女性総合職の社員が、面談の際に上司に「育休・産休を取得していない他の同期と比べてビハインド」「経理・総務だと定時で帰れる」といったような、育休・産休をキャリアの障害と考えていると捉えられかねない内容のドキュメンタリーが放映され、一部twitter界隈では大いに盛り上がりました。

tsubuchan.blog.jp

 

でも、少し考えて見ると、何も出産・子育てをするのは日本人だけではありません。全ての人間が等しく子供に接するわけですから、それは理由として成り立たないわけです。

 

おそらくここで問題になってくるのは、「出産・子育てをキャリアの障害と考えてしまう」日本人の認知のあり方にあるのでないのでしょうか。そうした社会的な暗黙のルールを変えない限り、たとえ表層的に仕組みや制度を変えたとしてもうまくいかないのではないか、というのが個人的に考えるところです。

 

そして二つ目の「エンジニア」について。ここではエンジニアにおける女性の進出が遅れているという点を指摘しています。しかし、エンジニアの地位向上という点においては、男女に関係なく日本は立ち遅れていると叫ばれています。特に近年着目されているAIの分野においては、日本は世界の4%にとどまるとされており、他の国と比べても大きく遅れをとると言われています。

www.nikkei.com

 

しかし、他の国々と比べてAI人材が不足している、エンジニアを中心とした人材が不足しているという点に着目するあまり、矢継ぎ早に技術面へのフォーカスをするというのも疑念がぬぐえません。というのも、過去に以下の記事を見てしまったからです。

gendai.ismedia.jp

 

これは、一橋大学の文系の教授が、文系科目への予算減を背景に様々な圧力を受け、結果として国立大学を離れるという一連の出来事をまとめた記事です。現在学術界における世界的評価の向上を目指す動きが高まっており、その一環で、「結果の見えやすい」理系分野への投資のフォーカスが行われていると聞いていますが、その一方で、文系特に哲学や歴史といった人文科学系の縮小が大々的になされているといいます。こうした背景を知るにつれて、どうしても「エンジニアにフォーカスを当てるのが良いことなのか」という問いがつきまとうわけです。

 

 

INSEADという世界をターゲットにしたビジネススクールにいっておきながら、最後の最後まで日本の問題にしか注目できないのは自分の知識の浅はかさではあります。ただ見方を変えれば、こうした日本の社会問題は、世界をターゲットにするビジネススクールにおいても奇異の対象として見られているのかもしれません。卒業後に日本に戻って仕事をする身として、少し気が引き締まるような、そんな思いを抱いた最後の授業でした。

 

では、では