萱野稔人『新・現代思想講義 ナショナリズムは悪なのか』

 

この本を一言でまとめるのであれば、「ナショナリズム批判」 の批判です。当時日本に蔓延っていた「ナショナリズム批判」の様々な言論について、各論それぞれに焦点を当てながら丁寧に批判を加えていきます。

 

特に、格差社会ナショナリズム批判の相関性に対する著者の反証の部分が際立っています。著者によると、現代の日本で格差が拡がってきたことを問題視するリベラルな知識人の多くは、同時にナショナリズムを否定する立場にたっているのですが、これには大きな矛盾が発生しているといいます。格差批判とナショナリズム批判がそこでは同居している状態では、「二兎を追うものは一兎も得ず」になると言うのが彼の主張です。

 

そもそも、格差問題というのは非常に地域性を持つ問題であるのです。例えば、日本国内で格差が進行したことの原因として、グローバリゼーションによって海外から安価な労働力が流入してきたからだというものがあります。この格差をなくすためにはどうすれば良いかというと、グローバリゼーションを止めるべく政府に働きかける必要があるのです。すなわち、ある域内において均一性を保つためには、域外からの流入を防ぐことが必要であるのです。しかし、この働きかけにはナショナリズムに訴えることが必要になってきます。

 

こうした論理の矛盾がある一方で、現実には多くのリベラルな知識人たちが、ナショナリズムを否定しながらも格差を問題視し、さらには格差問題に対する政府の対応を求めてきた、という点を嘆いており、痛切に批判しています。

 

もちろんこの本の中ではナショナリズム万歳!というような100%のナショナリズム擁護の本ではなく、そうしたナショナリズムを批判する人たちの論理展開の弱さをついているという点に重きが置かれています。

 

もちろん、ナショナリズムを前面に押し出すことで弊害が生まれることもあります。上記の例えで思い出すのが2016年のアメリカ大統領選です。ドナルド・トランプ氏はアメリカ国内の格差をグローバリゼーションに求め、困窮した白人労働者層からの支持を得ることに成功しました。しかし、一方的な貿易政策なども行なっており、世界情勢に緊張が見られています。

 

こうしたナショナリズム/グローバリズムのたたかいは、ここ数十年、いやレーニンが嘆いていた頃から換算すればゆうに100年以上も行われていますが、ついぞ結末が見えてきません。少し日本では下火になってきたナショナリズム論ですが、引き続きこの点については議論が必要になのではないかなと思ってしまう本でした。

 

では、では