落合陽一『日本再興戦略』〜読書リレー(93)〜

 タイトルはかっこいいですが、最近のバズワードまとめサイト的な本です。

日本再興戦略 (NewsPicks Book)

日本再興戦略 (NewsPicks Book)

 

 

落合陽一氏による、日本再興について日本ができることについてまとめた本です。多くのメディアで取り上げられており、非常に注目度の高いとされる本ですが、内容は、単行本としては少し浅く広くな薄い印象です。

 

落合氏は、「これからの日本再興のために大切なのは、各分野の戦略をひとつずつ変えるのではなく、全体でパッケージとして変えていく」ことが重要と考えており、この本でも、欧米と対比する形で日本のあるべき姿を浮き彫りにし、世界を変えるテクノロジーについて紹介をした上で、政治・教育・仕事の3分野でそれぞれどのように変わっていくかについての考察が論じられています。

 

非常に内容が多岐にわたっており、これだけをまとめるのもすごいとは思うのですが、逆にカバーする範囲を大きくしすぎてしまっている感があり、それぞれの議論がどうしても表層的なものになっているような印象を受けます。

 

例えば、欧米と日本は異なると言う点を説明する際に、「日本は東洋的」と言うふうに説明を行なっていますが、では東洋的と言うものがなんであるのかについては、具体的に掘り下げて議論を行なっていません。こうした西洋/東洋を対立軸においた日本論というのは古くから存在しており、古いところでは社会学者の阿部謹也や、もっと軽めでいうとルース・ベネディクトのような人が、日本人とは何かについて議論を行なって来ました。また中国との関係性からアジアの中の日本を説いた竹内好など、専門的な言葉で言えば日本人論の「先行研究」 はたくさんあるわけです。そうしたところには一切触れていないため、納得はできるがいまいち奥行きにかける、というような印象を与えてしまうのです。

「世間」とは何か (講談社現代新書)

「世間」とは何か (講談社現代新書)

 
日本とアジア (ちくま学芸文庫)

日本とアジア (ちくま学芸文庫)

 

 

また、テクノロジーの部分でも、自動運転や5G、VRやロボティクスなど、今ホットなトピックの紹介にとどまり、「日本にはチャンスがある」という議論に終始しています。自動運転や5Gについては、他の専門書を漁ったほうが良さそうかな、という印象です。

 

次に、「人口減はチャンス」とし、日本が体験する未曾有の高齢化社会は、いずれ全世界にも訪れるのだから、そこで培ったノウハウを輸出すれば良いとしています。しかしこれも、10年以上前に東京大学教授の小宮山宏教授が「課題先進国」という形で表現しています。

「課題先進国」日本―キャッチアップからフロントランナーへ

「課題先進国」日本―キャッチアップからフロントランナーへ

 

 

さらにビジネスのリーダーシップについても、「リーダー2.0」という新しい概念を打ち立てています。しかしこれも神戸大学経営学院教授である金井壽宏氏が著書で論じているリーダーシップ論や、世界に目を向けるとハーバード大学のリンダ・ヒル教授が提唱する「逆転のリーダーシップ」といった、最近のトレンドに近いところがあります。しかし本書では、そうした先人の議論については触れずにとどまっています。 

サーバント・リーダーシップ入門

サーバント・リーダーシップ入門

 
ハーバード流 逆転のリーダーシップ

ハーバード流 逆転のリーダーシップ

 

 

総じて、非常に壮大なテーマがあり、マクロ的な視点から俯瞰するにはもってこいの本かもしれません。ただし、大風呂敷を広げてしまったがために各論の深掘りが少ないような印象を受けます。そのために、「全体のパッケージとして変えていく」という点において、各論の弱さゆえに土台がしっかりしておらず、ビジョンがぼんやりとしてしまっている印象があります。

 

では、なぜこんなにもこの本が取り上げられているのか、という点が気になります。個人的に思うところが、やはり多くの日本人がこのタイトルに惹かれるのかなと。なんだかんだ言って日本人はナショナリズムが残っていて、誰しも日本を良くしたい、という思いを少なからず持っているのかもしれません。そして、なんとなくおぼろげに「このままでは日本は危ないのではないか?」という、そうした危機意識を持っているように思えます。ただ問題なのは、それが具体的に何を示しているのか、どうすれば良いのかという点について、社会全体で明確な答えが出せないでいる、という状況に陥っている点なのかもしれません。そうしたモヤモヤ感を抱いている人にとっては、この本のタイトルに何か惹かれるものを感じたのでしょう。

 

そういう意味では、この本の構成からは、そうした考えを漠然と抱いているマジョリティを読者として取り込む戦略をとっていると読めなくもない部分があります。その実例として、この本の注釈の多さにあります。「はじめに」でも、フランスの古典なんじゃないかというくらい注釈が多く書かれておりますが、吉田松陰、わび・さび(それぞれ別の注釈です!)など、有名すぎる有名人、有名すぎるキーワードについても注釈が振られています。この注釈が意味するのは、「この本が想定する読者は、吉田松陰がわからない人、わび・さびがわからない人です。」ということだと思っています。そういう点では、この本は、そうした知識がないようなマジョリティ層に対しても発信をしようとしたのかもしれません。

 

いずれにせよ、良くも悪くも、こうしたもやもやした社会の考えを反映しているのが、この本なのではないかなと思ってしまうわけです。日本社会のアイデンティティをめぐる問いは、これからも続きそうかな、と思ってしまいます。

 

では、では