キャリアにおける帰納法と演繹法について

 

好きなことしか本気になれない。 人生100年時代のサバイバル仕事術

好きなことしか本気になれない。 人生100年時代のサバイバル仕事術

  • 作者:南 章行
  • 発売日: 2019/08/29
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

Kindle Unlimitedで読み放題の対象になっていたからこの本を読んでみた。スキルを自由に売買できるサイト、ココナラを立ち上げた南章行。この本はどちらかというと、そのビジネスのアイデアの背後にあるビジネスプランや想いを描いたというよりかは、それに至るまでの著者の半生を描いた、自叙伝的なものになっている。

 

この本を読んでいると、この人のキャリアの美しさに気づく。大学を卒業した後に日系の大手企業に就職。数年間そこで経験を積んだのちに、今で言うところのPEに転職し、20代で会社の役員として企業のターンアラウンドを経験。その後MBAに。MBAでのインターンの経験が契機となって社会起業に興味を持ち始め、帰国後に二足のわらじを履き始め、最終的に起業…。ここまでは、この人が所属する世代の、まさに絵に描いたような美しいキャリアを歩んでいるように見える。

 

ただし、著者はこの本で何度も主張しているように、彼はもともとこのキャリアを最初から描いていたわけではなく、紆余曲折を経て到達し、それなりの苦労があったという形に述べている。もともと起業家になりたくて大企業に入ったわけでもなく、そしてMBAに行ったわけでもない。全てがその時の偶然によるものであるが、と同時にそれは著者自身の考え抜いた努力の表れでもある、と言うものが、この本で著者が一貫している主張だ。

 

この本を読んでいる途中で、キャリアに関する二つの大きな考え方の違いについて考えを巡らせてしまった。それは、キャリアにおける帰納法演繹法である。

 

この人のキャリアはまるで帰納的である。帰納法とは、高校の数学でも学んでそれを覚えている人も少なくはないと思う。帰納法はある種の推論で、ある前提があった時、それを元に、前提の外にある事象について結論づけるような論理的な考え方を指す。これをキャリアに当てはめてみると、今ここで好きなことをする。その好きなことというのが、次のキャリアにつながって行き、将来的に自分の最終的に好きなキャリアに到達できるだろう、というような考え方になる。

 

この人のキャリアの考え方が帰納的であるというのは、文章の様々な節から読み取れる。例えば以下のような表現だ。

 

不確実な時代に無理やり長期プランを立てると、方向転換のタイミングを逃したり、間違ったキャリアプランにいつまでもしがみついたりする羽目になるだろう

 

つまり、究極的なゴール(=計画)は持たない。なぜなら、そんなものはわからないからである。無理に立ててしまっても、こんな不確実な時代にそんなプランは意味がない。間違っている可能性もあるわけだ。それにしがみついていても、今を無駄にしてしまう可能性がある。

 

実際、この考え方を裏付ける研究もある。スタンフォード大学で教育学・心理学の教鞭をとるジョン・クランボルツ教授は、米国のビジネスマン数百人を対象にした調査で、キャリア形成のきっかけのうち80%が偶然であるということを突き止めた。この調査結果を元に、彼はこの調査結果をもとに、「計画された偶発性=プランド・ハプンスタンス・セオリー」という理論を作り上げた。これはすなわち、「キャリアは偶発的に生成される以上、中長期的なゴールを設定して頑張るのはナンセンスであり、努力はむしろ「いい偶然」を招き寄せるための計画と習慣にこそ向けられるべき」という考え方となる。

 

その反対が、いわゆる演繹的な考え方である。演繹的な考え方とは、論理学の観点で言うと、ある正しさを証明した命題があって、それのもとで、手元にある事象について結論をつけると言う考え方を指す。これをキャリアに合わせて考えてみると、中長期的な目標があって、それに到達するために、今および数年後の自分の立ち位置を考えて行く、と言う立場に当たる。

 

正直自分はこの考え方がとてもしっくりきている。10年前から自分は自分の大いなる目標を立て、それに当てはめた時に、自分は今何をすべきかと言うところを考えてきた。一番最初の会社選びも、MBAも、そして現在の職場も、背後には全て共通する大きな目標があって、それを視野に置いた時、どこにいるべきか、何をすべきかが見えてくるような気がした。目標がなければ、自分が目指すべき山がなければ、自分は自分をコントロールできないし、奮い立たせることもできない。そんな考え方でキャリアを考えてきたフシがある。

 

そして、この著者が指摘する、「無理やり長期プランを立てて、方向転換のタイミングを見失ったり、間違ったキャリアプランにしがみつく」と言うことがないかと言うと、嘘になる。実際に、常日頃から、自分が立てている大いなる目標が、今のこのご時世に目標として成立しないのではないかと、常に根本的な問いに立たされてきた。その度に解釈を変え、目標を修正し、登るべき山を変える。でも目標を立てると言う行為はやめない。なぜならば、そうでもしない限り、自分は自分を定義できないし、自分のやりたいことを見定めることができないと思っているからだ。

 

この自分の考えを見事に整理してくれているのが、岡島悦子さんがまとめた『抜擢される人の人脈力―早回しで成長する人のセオリー』にある、タグづけの考え方だ。詳細は一年以上前にまとめた記事があるのでそれを参照して欲しいのだが、簡単に整理すると以下のようになる。

抜擢される人の人脈力  早回しで成長する人のセオリー
 

dajili.hatenablog.com

 

主体性が求められる今の日本社会におけるキャリア形成において、仕事ができるか以上に、いかにして仕事をもらうか(=抜擢されるか) が重要になってくる。そのためには、常日頃から自分が周りからどのように認識されるか、そのイメージをコントロールし、アピールしていかなければならない。

 

これを読んだ時、個人的にとても納得した部分がある。それはチャンスの掴み方の考えだ。チャンスを掴むには、まず自分が何者であるか・何がやりたいかを周りに伝えていかなければならない。そうすることで、例えば周囲にそのようなチャンスがあったときに、「ああそういえば彼/彼女、あれやりたいって言ってたな。こんな仕事きたから、彼に渡してみようか」というような形になり、チャンスが回りやすいと言うものだ。

 

これはある意味では、キャリアにおける予言の自己成就とも言えるだろう。予言の自己成就とは社会心理学的な考え方で、単なる思い込みだったとしても、声に出して自分はそうだと思い込み続けることで、本当にその思い込み通りの人間になって行く、と言う現象を指している。この現象は、心理学の多くの研究成果が実証している。私はキャリアにも同様のことが言えるのではないかと思っている。すなわち、自分で目指すべきものを見つけ、それが自分が求めているものだと思い込む。そうしてそれに向かって必要な努力を続けて行くことで、本当にそれを達成すると言うような一連のプロセスが本当にありうると言うことだ。

 

そう言う意味では、キャリアにおける中長期的目標というのはやはり個々人のアイデンティティを構築する上で、そして様々なチャンスを惹きつけるという点において大いに強さを発揮するものではないのだろうか。こうして考えてくると、冒頭で紹介した本の著者の帰納的なキャリアも、演繹的なキャリアも、どちらもありのように思えてくる。さて、あなたのキャリアの考え方はどちらですか?