信念に向かって走り続けられるか?ーフィル・ナイト「SHOE DOG(シュードッグ)」
59冊目。
これは面白い。少なくとも今年読んだ中では飛び抜けて一番です。
ナイキを作り上げた共同創始者の一人、フィルナイトの回顧録。日本のシューズの販売代理店を立ち上げるために日本で交渉したところから始まり、ナイキというブランドを立ち上げるまでの軌跡を、著者自身の言葉で、泥くさく、また生々しく記述してあります。分量は若干多めですが、本当に面白いのですぐに読み終えてしまいました。単純なノンフィクションものとして読んでも十分に面白いので、ネタバレをなるべく避けたいのですが、特に裁判で訴えられるシーンや、不渡りになった債権者が怒りのあまりナイキまで駆けつけるシーンなど、本当に映画化しても面白いんじゃないかってくらい描写が面白く、本当の話なんだろうかと疑ってしまうほどです。
この中で、面白いなと思ったのが二点あります。一つ目が、著者の日本に対するリスペクトについて。二つ目が、ビジネスのある種の「泥臭さ」についてです。
まず一つ目から。本書にもありますが、ナイキは、日本の靴である「オニツカ」(今のオニツカタイガーですね)の、アメリカ西エリアの販売代理店からスタートしています。そのため、日本との繋がりは深いです。この本も、まずはビジネススクールで披露した「日本の靴をアメリカで売る」ということを実現すべく、販売代理店の許可をもらうために神戸に交渉に行くシーンから始まります。印象に残っているのが、その時の彼の認識です。
当時1960年代というのは、先の第二次世界大戦の記憶が残っており、アメリカ人からしても日本というのは「敵国」、「アメリカを敵対視し、人を騙して粗悪品を売りつける汚いやつら」という認識が強かったと言います。これは、有名な映画「バックトゥザフユーチャー3」で、1955年を生きるエメット・ブラウン博士が、タイムマシーンであるデロリアンを修復するシーンにも表れています。1985年からタイムスリップしてきたマーティンに対し、エメット・ブラウン博士が「日本の部品は最悪だ」というのに対し、マーティンは「いや博士、日本の製品はクールで最高だぜ?」と突きかえす。そんなシーンです。今の観点からすると、マーティンの考えに近い(それでも、少し衰退しましたが)のですが、当時は前者だったわけです。そんななか、フィル・ナイトは果敢にも日本とビジネスをしようというわけです。これは今の感覚でいうと、日本人が北朝鮮の企業とビジネスをするというくらい、インパクトがあったと思います。
ただ、フィル・ナイトは、この日本に可能性を感じます。彼は日本にたどり着いた二日目の朝、ホテルの窓から映る東京の風景を見て「戦後の廃墟と化した街」と形容してます。しかし一方で、のちに取引をすることになる人々を見て、「賢い人々、エネルギーというのは、こうした廃墟や瓦礫から生まれてくる」という認識を持つに至ります。そのとき彼の目に映る日本というのは、今では想像できないくらい「無限の可能性を秘めた」国だったのかもしれません。
もう一つが、ビジネスの泥臭さについてです。起業というと、かっこいい印象を与えてくれますが、実態は全くそうではないということをこの本はまざまざと教えてくれます。信頼していたはずの取引先から「契約を違反している」と裁判で訴えられたり、資金繰りが回らなくなって銀行から何度も見放されたり、展示会場で開いた商品サンプルが要求した品質基準を全く満たないものだったり、政府から突然理不尽な請求がきたり、スポンサー契約でナイキの靴を履くようにお願いしたスポーツ選手がオリンピックの大舞台であろうことか競合他社の靴をはいていたりと、これでもかと泥臭い部分が出てきます。私もそうした世界の中に生きるものですので多少なりとも経験してきたつもり(取引先に騙されたり、客から嘘をつかれたりといったことは日常茶飯事です)ですが、それよりもさらに生々しいストーリーが書かれており、ビジネスとはこういうものだ、ということを訴えかけてくるような、そんな記述が多く含まれています。
「成功者は語る」と言いますが、著者の成功の背後には、多くの失敗した人たちが隠れているかもしれません。ただ思うことは、著者が成功した背景にあるのは、彼の「信念の強さ」と、「自分を信じて走り続けたこと」、この二つに集約されるんじゃないかなと思います。どれだけ自分にとってマイナスなことが起きようが、風雨に晒されようが、めげずに折れずに立ち向かう、そういうマインドこそが、こうした「新しいものを作る人」には求められているんじゃないかと、この本を読んでそう思いました。
著者が最初に訪れた1960年代の日本の先人たちは、「日本の未来をよくする」という信念に基づき、未来を信じて走り続けたのかもしれません。今の私たちとは、マインドが全く違うわけです。
では、では