再始動します

しばらくご無沙汰していたこのブログですが再開しようと思います。

 

元々海外MBAの体験談を綴ることができればという思いで発信を進めてきましたが、卒業後仕事を進める中で、MBAの経験や読んだ本の経験がめぐりめぐって活かされ始めていることに気づき始め、その辺りも含めてしっかりアウトプットした方が良いかなと思った次第です。

 

気がつけば最初の投稿から5年経っているわけで、そこからの変化点は以下の通り

ロケーション:中国→フランス→シンガポールを経て、今は東京

仕事:メーカー営業→MBA→戦略コンサル という絵に書いたようなキャリアチェンジを経て、いまだに戦略コンサルで仕事してます

 

巷でよく言われる戦略コンサルが書いた問題解決の本に書かれている内容の思考パターンを毎日のように使いつつ、ただそれだけだと他のコンサルとなんら変わらないのでadd valueをしっかり出すような頭の捻り方をしているような感じです

 

このブログでは、そんな左脳的な思考も駆使しながら、基本的には読んだ本やニュースなどで考えたことを、これまで以上に簡略な文章とシンプルな表現で発信できればと思いますので、引き続きよろしくお願いいたします

大川内直子「アイデア資本主義」実業之日本社

最近資本主義を論じた本をいろいろ読み漁っているのですが、この本は面白かったのでメモしておく

文化人類学修士卒である著者による、ある意味資本主義のまとめ本。内容としても平易でとても読みやすい。アイデア資本主義というのは、以下の言葉に集約される

イデアが、生産手段の前駆体としての位置づけを脱して、アイデアそのものが独立した投資対象になっている状況 (p.163より一部抜粋)

今までアイデアというのは、生産効率を高めるための一つの手段でしかなかった。これが近年独立した存在として扱われるようになり、より良いアイデアを実現するために資本が投入され、集中していくという現象が起きている。そのことをアイデア資本主義という言葉で表現している。

 

本書では、まず資本主義の歴史をおさらいし、今までの資本主義においては空間・時間・生産の3軸においてフロンティアが消滅していることをまとめる。その上で、現在アイデア資本主義というまた新しい軸の資本主義が到来しているとしてその中で何が起きているのかについて、文化人類学のアプローチであるミクロの視点から語られる。

 

本書の面白いところは2点ある。一つ目は、アイデア主義の特徴を非常に明快に表現したこと。それが「インボリューション(involution)」という言葉である。これ自体は著者の造語なのだが、「内に(in)」という言葉と、「進化(evolution)」という言葉が重なり合っている。

 

今までは、外へと開かれたフロンティア(境界)を絶えず広げていく活動が行われていたが、現在はフロンティアに限界がみえている。そうした中で広がりを見せているのは、外に広がる境界ではなく、内なる深淵の世界である。個人的にはとてもしっくりくる表現

 

二つ目は、著者の資本主義に対する視点。結構巷では「資本主義は悪だ」というような二元的な論調が目立つ。成長ばかりが良いのかということに対して、その対立概念として「脱成長」という言葉が出てきたり、資本主義そのものの悪として乗り越えたりしようとする論調が起きている。そうした論調に対して著者は必ずしも同調しない。もっと多元的な面でみて、現代の状況に応じたアップデートが必要なのではないか、というのが私が感じた著者のスタンスなのだが、まさにその通りかと。

 

現在の論調からのちょうどいい距離感と、堅苦しくないちょうどいい内容。

 

自分を知るために必要なアイデアを与えてくれる2冊

 今日は自己啓発というか、自分の強みやキャラクターをどのように活かすべきかについてインサイトを与えてくれる二冊について紹介したいと思います。

 

 

 

まずはこの有名な本から。この本はロングセラーで、今でもAmazonの売り上げランキングで2位3位あたりを堅調に維持しています。どうやら研修プログラムの一環としてこれを取り入れている企業があるみたいで、その影響も大きいと言われていますが、それでも人気が絶えない本かと思います。

 

こちらの本は、サーベイを受けることで、自分が強みとする5つの要素について理解することができます。この強みの部分については、「自分がやっていて(行なっていて)苦にならないもの」という定義です。すなわちなんらかの行動をとるときに自分が抵抗感なくできるところ、それが強みであるという考え方です。例えば、知らない人に声をかける。これは人によっては全く苦にならない人と、知らない人に声をかけるということがとても億劫な人がいます。これを性格で片付けるのではなく、強みだと捉えるものです。

 

ちなみにこれで私はかなり自分のキャリアについて大きな洞察を得ることができました。この本での診断結果、強みは「学習欲」「達成欲」「慎重さ」「原点思考」「着想」でした。これを見たときに、学習欲と達成欲を同時に満たすキャリアはないか、という点で突き詰めて考えたところ、今の職場に落ち着いたと思っています。これくらい、自分にとってはかなりインパクトがあったかと思っています。

 

 

二冊目は昨年夭逝された瀧本氏の本。これを読んだ時、今後のキャリアとして何が社会から求められているのかを捉えるには非常に優れていると感じました。本の内容としては、これから人材もコモディティ化(=差別化が難しい商品のこと)になってしまうため、差別化を図るべく様々なキャリアの歩み方があるというのが主な主張です。これは社会から求められているニーズをうまく汲み取るという点では非常に深い洞察を与えてくれています。

 

私の読み方としては、ストレングスファインダーで自分のやりたいこと、求めていることを知る。そして瀧本本で世の中が求められていることを知る。この二つをうまくシンクロさせるという作業を行うことで、自分を知るための必要なアイデアは揃ってくるのではないでしょうか。

 

ビジネスパーソンでも歴史が好きになる新書3冊①

営業として働いたり、コンサルタントとしてクライアントに接していく中で、特にマネジメントレベルの人たちで歴史が好きな方は少なくありません。歴史を知っていると、それだけで教養を持っているように見える(と断言したら失礼ですが)のが、歴史という知識の不思議かつ素晴らしいところかと思います。

 

しかし、ほとんどの人は歴史と聞くと拒絶反応が起きてしまう人がいるのではないでしょうか?過去の人がやったことなんてまるで興味ない、というのはある種当たり前の観点かもしれません。

 

私個人は歴史は非常に好きです笑 なので歴史が嫌いな人の気持ちを100%理解しているわけではありません。ただ、自分がなぜ歴史が好きなのかと言われると、現在とのつながりを見いだすことができるから、と言えるでしょう。過去を通じて、今起きていることと共通する、この世の中の「共通項」を見つけることができるという点で、過去は非常に面白い、とも言えます。

 

そんな中で、ビジネスパーソンでも興味が湧くものとして考えられるのが、「ビジネスの歴史ってなんだったんだろう」というものではないでしょうか。今自分が仕事で行なっていることが、実は過去とつながっていた、と考えることができると、過去とのつながりができると、それだけで歴史が楽しく見えてくるのではないでしょうか?

 

ということで、今日は私が読んできた中で、ビジネスと歴史をうまく組み合わせた面白い新書を三冊紹介します。

 

 

まずはこの一冊から、著者の藤野英人さんは投資家として非常に有名な方ですが、その方が書いた商売の日本史というこの本は、経済の大局観をみる上でとても面白い視座を与えてくれます。

 

この本が面白いのは、日本人の歴史を、外に開いて大きく交易を促進する「ウミヒコ」の時代と、うちに閉じこもって独自の文化を作り上げる「ヤマヒコ」の時代という二つの軸でとらえ直していることです。この軸によって、今はどの時代の流れなのか、そしてこれからどうなるのか、というのがおぼろげながらも見えてくるかもしれません。

 

今COVID-19によって先行きが極端に不透明な時代になっていますが、こうした過去の流れから今を捉えるとまた違った見方ができるのかもしれません。

 

 

 

二冊目は、織田信長とビジネスという観点で歴史をとらえ直したこの本です。織田信長というと戦国武将で、彼が行なった政治的な実績に目がいきがちですが、織田信長ビジネスパーソンないしは起業家として考えると、ものすごいイノベーターであることがわかる、そんな一冊です。

 

例えば楽市楽座。これは今まで寺院などが有していた既得権益の中でも、領地においてビジネスをするという一番美味しい権利に着目し、身分に関係ない自由な市場を作り上げ、新しい市場を作り上げました。

 

これはまさしく今のUBERと同じではないでしょうか。既存のタクシー業界が有していた既得権益を破壊する、破壊的なイノベーターという点では、織田信長アメリカのスタートアップも同じことをしていたわけです。こうした観点で見てみると、UBERも決して新しいものではないという事実が浮かび上がると同時に、織田信長の新たな一面が見えてくると思います。

 

 

三冊目は、少しぶ厚目のこの本。歴史というよりかは、過去に色々あった事例を掘り起こして、「コミュニティー・キャピタル」について描いている本です。これが面白いのが、共同体に所属していること自体が価値が高いことに働く場合がある、ということを、様々な過去の事例を用いて実証しているという点にあります。

 

最近はSNSなどでコミュニティビジネスが盛んですが、これらについても、過去に事例が数多あるわけです。そうした事例を見るにつけ、私たちの現代のビジネスというのは、なんら新しいものではないと気づかせてくれる、そんな一冊です。

 

引き続き、このシリーズで色々と本を紹介していきたいと思います。 

読書術の前に、読書そのものの大切さを教えてくれる2冊

今年初めから始まったCOVID-19の影響で、多くの人が週末も外出せず、自宅で過ごす ことが多くなったのではないかなと思います。そうした中で多くにほとが口にするのが、休日の過ごし方。人によっては家でできるような新しい趣味を見つけてそれを楽しんでいる方も多いようです。

 

そうした、新しい趣味の中で、「読書」を選ぶ人も少なくないようです。実際のところ、オンラインを中心に歴史の本の売れ行きが好調だというニュースも出ています。読書は家の中でゆっくりするものとしては非常に良いのかもしれません。

 

巷では、よく本を読むことについて色々な考え方がはびこっているような気がします。人によっては読解力を鍛えるために読書をすべきだという、目的と手段がこんがらがっているパターンもあれば、単純に読むのが楽しいからという人もいます。そうした中でそもそも読書ってなんのためにするんだろう?という疑問が浮かぶのはある種当然なのかもしれません。

 

今日はそれに二つの異なるアプローチで考える本を紹介したいと思います。

 

レバレッジ・リーディング

レバレッジ・リーディング

  • 作者:本田 直之
  • 発売日: 2006/12/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

一つ目は、レバレッジ・リーディング。著者の本田直之氏は自己啓発本もいくつか出しているのですが、おそらくこの本が著者の中でも一番有名なのではないでしょうか?

 

この本の一貫しているところは、本を読むことを自己投資だと考えていることです。そしてそれは、投資の観点で考えると非常に費用対効果の高いものだと言います。どうしてかと言いますと、通常なら数万円かけて、その著者が主催するようなセミナーとうに出て、その人の話を聞くことと、数千円かけて本を読むことで得られる情報はほとんど同じだからです。もちろん、セミナーと読書では臨場感によって異なるので知識の習得具合には違いがあるのは否めませんが、本を読むことで新しい知識を習得できるという点においては、これほど効率の高い買い物はないわけです。

 

この本では、そうした観点から、特にビジネスパーソンを対象に自己投資としての読書の有用性をあげています。非常にわかりやすいロジックなので、読書のモチベーションを上げるにはうってつけの一冊かもしれません。

 

本の「使い方」 1万冊を血肉にした方法

本の「使い方」 1万冊を血肉にした方法

  • 作者:出口 治明
  • 発売日: 2019/06/21
  • メディア: 単行本
 

 

続いてはこちら。大手保険会社を経て起業し、現在は大学の学長となった出口治明氏が、読書に関して自身の考えを整理した本になっています。こちらの本はビジネスライクというよりかは、人間としての教養をいかに培うことができるかという点で読書を見ており、こちらはこちらでとても参考になる考え方です。

 

まとめると、読書は人によって様々な目的があると言えますが、ビジネスパーソンとしては、「自己投資」×「教養」の重なるあたりがマインドセットとしてはふさわしいと思うので、ぜひこの二つを参考にしてはいかがでしょうか。

現場から見上げる企業戦略から、現場か資本か考える

 

 

企業戦略論で有名な藤本教授の本。この方の本はいつ読んでも新しい知見を得られます。コンサルタントとして大企業の全社改革に携わる中で、この方が専門とするようなものづくりの領域に触れることも多いのだが、そうした中でこの本の視点は本当に役に立ちます。

 

この本の主な論点としては、デジタル時代においても、日本の基幹産業である製造業においては、愚直に現在の企業が持つ現場でのものづくりの力を絶えず鍛えることによって、グローバル市場における競争優位性を維持できる、というものです。コンサルティングで様々な現場を巡る上で、この考えは私個人としても非常にしっくり来るものであると同時に、日本の方々およびビジネスパーソンにおいても考え方を改めなければならないと思います。

 

ただ、この主張は至極当たり前のように思えます。なぜなら、日本企業はこれらの競争優位性によって経済成長を遂げてきたからです。ここで浮上する問題点として、そもそも、なぜこのような議論を、著者はこの本であえて説明しなければならなかったのか、ということが挙げられます。それは、この著書でも挙げられていますが、「悲観論」にあると著者は述べています。それを如実に表しているのが以下の部分かと思います。

 

不況や円高で企業業績が悪化したり、大きなメーカーが倒産したりして悲観論的な雰囲気が充満すると「日本の製造業はもうダメだ」論がまた出てくる。そのたびに私は「条件つきだが大丈夫だ」と反論しつづけた。しかし悲観論的雰囲気が消えると、そうした雰囲気的悲観論もどこかに消える。状況が悪化するとまた出てくる。この繰り返しだ。今後も繰り返されるだろう。しかし理論的および実証的な裏づけがとれているかぎり、私はこれからも「条件つきだが大丈夫だ」といいつづける

 

日本の経済においては、やたらと悲観論が蔓延りやすい傾向にあるのかなと思います。それが健全なうちは良いのですが、それがどんどん足を引っ張っていって、自滅の道を進んでしまうことがあるので、それだけは避けてもらいたいなと思う今日この頃です。

 

さて、もう一つの議論として興味深かったのが、現場志向と資本志向の考え方です。こちらについては、もう一度本文の中から説明を引用すると、

 

「現場指向」とは、損失が生じても現場の人員を簡単には切らず、一定以上の利益が出れば現場にも還元するような現場重視・地域重視の考えをもつことをいう。それに対して「資本指向」とは、利益最大化を根本的な行動原理とすることをいう。先にも述べたように、主流派経済学の教科書に出てくるモデルは後者 

 

ということになります。

 

ここで強調すべきなのは、「損失が生じても現場の人員を簡単には切らない」という点です。ここは資本主義社会と真っ向から反対する考え方ですが、それが巡り巡って現場を活気立てる一因になる、ということです。

 

それはどういうことかと言いますと、日本の製造業の工場は、一部を除いてほとんどが地方にあります。その地方にある工場はその地域社会に根ざしていることが多く、その工場が地域の経済を発展させている、と言っても過言ではありません。例えば、私の前職では製造拠点が九州の地方都市にありましたが、その都市はある産業の集積地になっていて、そこで働く人々が一定数いることから、人口が増え、世帯が増え、結果として地域経済が発展する、というサイクルがありました。

 

そうした中で、不況のあおりを受け、生産が滞る。そうすると、工場は損失が発生し始め、コストの削減にてをつけます。コストの中で大部分を占めるのが人件費ですから、現場の人員を削ればコストは下がるわけです。ロジカルに考えると、この決断は正しいように見えますが、一方で間接的な影響が大きいとも言えます。なぜかというと、人員を削るということは、その地域で働く人が少なくなることを意味します。それは、人口が減り、世帯が減り、結果として地域経済が停滞していく、という悪循環に陥る契機を作り出しているわけです。そうなってしまうと、そもそもその工場を下支えしていた地域経済が立ち行かなくなり、工場自体で、もともと維持しようと思っていた人員までも、地域経済の停滞の影響を受けるかもしれないわけです。そうした意味では、工場と地域経済はある種一蓮托生的なところがあり、これら二つを切り離して考えることはできないわけです。

 

そうなって来ると、ロジカルで考えることが必ずしも正しいのか?というイシューにぶち当たります。ロジカルシンキングで売っているコンサルタントが何を言っているんだ、ということになりかねませんが笑、そうした資本志向では到達し得ないところに本当の解があるんじゃないかなと、そう思う今日この頃です。

他己実現でキャリアを求めていないか?ー読書リレーー

 

 

我が校先輩の本。笑 結構この人から受ける影響は大きく、彼の本はほとんど読破していると思う。

 

そんな中でもこの本に着目するのが、仕事とキャリアについて考えさせられたからです。前掲の記事でもキャリアにおける様々な考え方を取り上げましたが、この本はどちらかというと、そうした考えを盲信し、バリバリのキャリアを築き上げて言った人が典型的に陥りやすい現象をコミカルに描いていて、とても興味深いです。

dajili.hatenablog.com

 

この本が指摘する非常に強いメッセージは、簡単にまとめると以下のようになると思います。それは、キャリアを求めすぎる人は、実は非常に強い承認欲求によって動かされており、その承認欲求は外から来るものである以上、自己実現ではなく他人が理想とする何かを求めてしまい、自己実現ではなく他己実現になってしまっている、というものです。

 

これは非常に面白い視点で、自分がやりたいことが、色々と突き詰めて考えると「他人から認められたい」というところが一番にきているわけです。年収をあげたい、キャリアアップをしたいというような欲望は、言ってみればそのステータスを周囲に自慢して承認されたい欲求を満たしているのではないか?という問題意識です。

 

そして、自分にとって何が価値があるのかをはっきりと理解しなければ、自己実現のチャンスはこず、最終的には承認されたい欲望だけで終わってしまうという考え方は面白い。そしてそれを的確に表しているのが、以下の引用。

 

社会に認められてはいるけれど、まったく自分の人生じゃなかった!〟という、マウンティング・ゴリラたちの慟哭に繫がってしまう

 

 

実はどのような価値を見出したいか、これを突き詰めて考え、貫くこと。簡単なようで非常に難しいと思います。なぜなら、そこに資本主義の原理が入り込んでしまうからです。

 

どういうことかと言いますと、自分が信じている価値があり、それを貫きたいとする。しかしながら、その価値が誰も振り向いてくれないようなよくわからないものだったとすると、それを求める人は誰もいません。誰かいたとしても、とても少ない数でしょう。そうなると、その価値にお金を払う人は少なくなります。なぜなら資本主義の中では、需要と供給の関係が成り立つため、ニーズが少ないものについては価値は必然的に下がるからです。すなわち個人の価値と社会的な価値に乖離がある状態になります。そうなってしまうと、個人の価値はどうしても影響を受けやすい。自分の求める価値を維持するために、どうしても社会的な価値に近づけるように修正する必要がある。気がつけば、社会に求められている価値にどんどん近づいていく、ということになります。

 

すなわち、自分の価値を貫くことができるという人は、ある種資本主義の理論を超越して動くことができるような人でなければならないわけです。そんな人はなかなかいませんので、結論のところ、自分の価値を貫くことは難しいわけです。

 

ただ、そこに近づこうともがくことはできる。おそらくそのもがくところに、この著者が言いたい「マウンティング・ゴリラからの脱却」なのでしょう。