キャリアにおける帰納法と演繹法について

 

好きなことしか本気になれない。 人生100年時代のサバイバル仕事術

好きなことしか本気になれない。 人生100年時代のサバイバル仕事術

  • 作者:南 章行
  • 発売日: 2019/08/29
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

Kindle Unlimitedで読み放題の対象になっていたからこの本を読んでみた。スキルを自由に売買できるサイト、ココナラを立ち上げた南章行。この本はどちらかというと、そのビジネスのアイデアの背後にあるビジネスプランや想いを描いたというよりかは、それに至るまでの著者の半生を描いた、自叙伝的なものになっている。

 

この本を読んでいると、この人のキャリアの美しさに気づく。大学を卒業した後に日系の大手企業に就職。数年間そこで経験を積んだのちに、今で言うところのPEに転職し、20代で会社の役員として企業のターンアラウンドを経験。その後MBAに。MBAでのインターンの経験が契機となって社会起業に興味を持ち始め、帰国後に二足のわらじを履き始め、最終的に起業…。ここまでは、この人が所属する世代の、まさに絵に描いたような美しいキャリアを歩んでいるように見える。

 

ただし、著者はこの本で何度も主張しているように、彼はもともとこのキャリアを最初から描いていたわけではなく、紆余曲折を経て到達し、それなりの苦労があったという形に述べている。もともと起業家になりたくて大企業に入ったわけでもなく、そしてMBAに行ったわけでもない。全てがその時の偶然によるものであるが、と同時にそれは著者自身の考え抜いた努力の表れでもある、と言うものが、この本で著者が一貫している主張だ。

 

この本を読んでいる途中で、キャリアに関する二つの大きな考え方の違いについて考えを巡らせてしまった。それは、キャリアにおける帰納法演繹法である。

 

この人のキャリアはまるで帰納的である。帰納法とは、高校の数学でも学んでそれを覚えている人も少なくはないと思う。帰納法はある種の推論で、ある前提があった時、それを元に、前提の外にある事象について結論づけるような論理的な考え方を指す。これをキャリアに当てはめてみると、今ここで好きなことをする。その好きなことというのが、次のキャリアにつながって行き、将来的に自分の最終的に好きなキャリアに到達できるだろう、というような考え方になる。

 

この人のキャリアの考え方が帰納的であるというのは、文章の様々な節から読み取れる。例えば以下のような表現だ。

 

不確実な時代に無理やり長期プランを立てると、方向転換のタイミングを逃したり、間違ったキャリアプランにいつまでもしがみついたりする羽目になるだろう

 

つまり、究極的なゴール(=計画)は持たない。なぜなら、そんなものはわからないからである。無理に立ててしまっても、こんな不確実な時代にそんなプランは意味がない。間違っている可能性もあるわけだ。それにしがみついていても、今を無駄にしてしまう可能性がある。

 

実際、この考え方を裏付ける研究もある。スタンフォード大学で教育学・心理学の教鞭をとるジョン・クランボルツ教授は、米国のビジネスマン数百人を対象にした調査で、キャリア形成のきっかけのうち80%が偶然であるということを突き止めた。この調査結果を元に、彼はこの調査結果をもとに、「計画された偶発性=プランド・ハプンスタンス・セオリー」という理論を作り上げた。これはすなわち、「キャリアは偶発的に生成される以上、中長期的なゴールを設定して頑張るのはナンセンスであり、努力はむしろ「いい偶然」を招き寄せるための計画と習慣にこそ向けられるべき」という考え方となる。

 

その反対が、いわゆる演繹的な考え方である。演繹的な考え方とは、論理学の観点で言うと、ある正しさを証明した命題があって、それのもとで、手元にある事象について結論をつけると言う考え方を指す。これをキャリアに合わせて考えてみると、中長期的な目標があって、それに到達するために、今および数年後の自分の立ち位置を考えて行く、と言う立場に当たる。

 

正直自分はこの考え方がとてもしっくりきている。10年前から自分は自分の大いなる目標を立て、それに当てはめた時に、自分は今何をすべきかと言うところを考えてきた。一番最初の会社選びも、MBAも、そして現在の職場も、背後には全て共通する大きな目標があって、それを視野に置いた時、どこにいるべきか、何をすべきかが見えてくるような気がした。目標がなければ、自分が目指すべき山がなければ、自分は自分をコントロールできないし、奮い立たせることもできない。そんな考え方でキャリアを考えてきたフシがある。

 

そして、この著者が指摘する、「無理やり長期プランを立てて、方向転換のタイミングを見失ったり、間違ったキャリアプランにしがみつく」と言うことがないかと言うと、嘘になる。実際に、常日頃から、自分が立てている大いなる目標が、今のこのご時世に目標として成立しないのではないかと、常に根本的な問いに立たされてきた。その度に解釈を変え、目標を修正し、登るべき山を変える。でも目標を立てると言う行為はやめない。なぜならば、そうでもしない限り、自分は自分を定義できないし、自分のやりたいことを見定めることができないと思っているからだ。

 

この自分の考えを見事に整理してくれているのが、岡島悦子さんがまとめた『抜擢される人の人脈力―早回しで成長する人のセオリー』にある、タグづけの考え方だ。詳細は一年以上前にまとめた記事があるのでそれを参照して欲しいのだが、簡単に整理すると以下のようになる。

抜擢される人の人脈力  早回しで成長する人のセオリー
 

dajili.hatenablog.com

 

主体性が求められる今の日本社会におけるキャリア形成において、仕事ができるか以上に、いかにして仕事をもらうか(=抜擢されるか) が重要になってくる。そのためには、常日頃から自分が周りからどのように認識されるか、そのイメージをコントロールし、アピールしていかなければならない。

 

これを読んだ時、個人的にとても納得した部分がある。それはチャンスの掴み方の考えだ。チャンスを掴むには、まず自分が何者であるか・何がやりたいかを周りに伝えていかなければならない。そうすることで、例えば周囲にそのようなチャンスがあったときに、「ああそういえば彼/彼女、あれやりたいって言ってたな。こんな仕事きたから、彼に渡してみようか」というような形になり、チャンスが回りやすいと言うものだ。

 

これはある意味では、キャリアにおける予言の自己成就とも言えるだろう。予言の自己成就とは社会心理学的な考え方で、単なる思い込みだったとしても、声に出して自分はそうだと思い込み続けることで、本当にその思い込み通りの人間になって行く、と言う現象を指している。この現象は、心理学の多くの研究成果が実証している。私はキャリアにも同様のことが言えるのではないかと思っている。すなわち、自分で目指すべきものを見つけ、それが自分が求めているものだと思い込む。そうしてそれに向かって必要な努力を続けて行くことで、本当にそれを達成すると言うような一連のプロセスが本当にありうると言うことだ。

 

そう言う意味では、キャリアにおける中長期的目標というのはやはり個々人のアイデンティティを構築する上で、そして様々なチャンスを惹きつけるという点において大いに強さを発揮するものではないのだろうか。こうして考えてくると、冒頭で紹介した本の著者の帰納的なキャリアも、演繹的なキャリアも、どちらもありのように思えてくる。さて、あなたのキャリアの考え方はどちらですか?

いま日本の企業に組織開発が必要な理由

 

組織開発の探究 理論に学び、実践に活かす

組織開発の探究 理論に学び、実践に活かす

 

 

ビジネスにおいて組織が重要であることはいうまでもありませんが、ビジネスを考える上で、組織開発についてはあまり注目されていないのが現状でしょう。ビジネスにおいて、いかにして戦略上優位なポジションを構築できるか、あるいはコストダウンを行うべきかというところにはフォーカスがいく一方で、いかにして良い組織を作り上げるかという点に対しては、比較的優先順位が下がっているのではないでしょうか。

 

私もコンサルタントとして仕事を行っていく中で、よくプロジェクトでコストダウンなどに関わることがありますが、ほとんどのビジネスパーソンはいかにしてアイデアを実現するかというところに注目が行きがちで、その背後にある組織のダイナミズムにあまり注目しないのが現状です。しかし、いざ実行フェーズに進むにあたり、実際にアクションを行う担当レベルの腹落ち感が醸成されていなかったり、そもそも別の組織について改革プロジェクトの理解が得られていなかったりと、組織がボトルネックでプロジェクトがなかなか進まないケースが多く存在します。

 

この本は組織開発についてその哲学的なバックボーンも含め体系的に書かれたものですが、これを読み進めるにあたり、組織開発にかかる喫緊の問題意識について考えざるを得ませんでした。

 

なぜそもそも組織開発なのか?この問題意識を考えるにあたり、おそらく以下2つの視点で考えるべきかと思います。

 

(1)新しい職場のあり方が求められている

皆様ご存知の通り、日本は三種の神器である「年功序列・終身雇用・企業別組合」を機能させ、競争優位を確立してきました。このシステム中で、働く人々は自身の仕事にフォーカスすることができ、良好な労使関係を築いてきたと考えられます。こうした中では、組織開発の重要性は大きくはありませんでした。なぜなら組織はすでに企業によって作り上げられたものであり、そこで働く人は何もそのプラットフォームを疑うこともなく仕事に没頭できていたからです。

 

しかしながら、時代の変遷に伴いそうしたシステムが内側から変化していくにあたり、労使関係が変わっているのではないかと考えます。というと、企業を取り巻く環境の変化に伴い、終身雇用を謳っていても完全に保証はできない状態になっているからです。こうした中でそこで働く人も、自分がその組織で成長の見込みがこれ以上ないと判断すると、会社の外に機会を求めることが自然と多くなってしまうからです。実際に、日本の会社に対する信用度は、グローバルで見ても非常に低いと言われています。*1

 

こうした中で、企業は社員が自主的に生き生きと働いてもらう場として組織を設計しなければならなくなりました。さもなくば、人材の流出が免れないからです。

 

(2)人材の多様化が進んでいる

従来は、日本の組織のマネジメントは非常に容易でした。というのも、上述の通り、終身雇用、年功序列というシステムの中で、会社の中の人材はある程度バックグラウンドが似通っていました。大企業になると、4年制の大学を卒業後、新卒で入社、特に転職することもなく同期と同じような異動等を経ている形になります。そうした金太郎飴的人材が組織の中に集まっていました。私はこれはとても素晴らしいことだと思っています。なぜなら画一的な研修プログラムを通じ、人材の共通化を図ることで社員間のコミュニケーションを円滑にすることができるからです。実際日本企業の組織力が世界的に賞賛された時期には、この制度がうまく機能していたのでしょう。

 

しかしながら、日本社会の変化に伴い、組織の中の人材も多様化が進んでいるのが現状です。例えば、労働市場の流動制増加に伴う、転職組の増加。社外で経験を積んできた人を、画一的な経験で共有されたチームの中でどのように機能させるかという問いは、今までにはほとんどなかったかと思います。

 

また、ライフスタイルの変化も上げなければなりません。働く以外の価値観に対して人々が重要視することになってきており、それぞれの社員がより主体的に働き方を選ぶことができるようになっています。これら動きは、今までの企業文化の中にはありませんでした。

 

つまり、多様な人材をマネージし、最大のアウトプットを生み出すという考え方が、今になって重要性を増してきたと言えるでしょう。組織開発においても、こうした多様な人材をどのように活かしていくかというのが、喫緊の課題になっているのではないかと考えます。

 

この本においても、これらの問題意識が強くにじみ出ています。個人的にも非常に興味があるトピックなので、今のコンサルタントとしての仕事を続ける中で引き続き実践していければと思います。

 

 

 

テレワークは組織の生産性を上げるのか?

新型コロナウイルスにより、多くの企業がテレワークを採用しています。そもそも東京オリンピックの開催期間に予想された都市圏の混雑を踏まえ、テレワークを推奨する動きはもともとありましたが、今回の一連の事態によってこのテレワーク推奨の動きはさらに加速しています。

 

ここで一つ気になる疑問があります。それは、「テレワークは本当に効率的か?」というものです。そもそも日本人のほとんどの方々は、オフィスで仕事をすることに慣れきっていたはずで、家で働きたいという願望はあったものの、なかなか制度が整わないというのが現場だったはずです。それが今回の非常事態も相まって、いきなり準備期間もなしにテレワークをスタートしたのですから、本当に生産性が担保されているのか、疑問に思っても仕方ないのかもしれません。

 

ということで、ここで生産性を考える上でのいくつかの視点から考えていきたいと思います。

 

1.移動時間がなくなる 

オフィスを離れて仕事をすると、確かに余計な移動を省くことができます。これは大きなアドバンテージで、世界的にも通勤時間が長いと言われている日本の社会においても、生産性を上げるということに確実に繋がるでしょう。

 

これはかなりクリティカルで、平成28年度の調査では、全国平均で1.2時間を通勤に費やしているそうです*1。現在ほとんどの方が平日平均で7-8時間(残業除く)働いていることになりますから、移動時間を準備時間と考えると、実に10-12%の時間短縮につながるわけです。これは非常に大きいでしょう。

 

2.コミュニケーション

オフィスを離れて仕事するわけですから、当然周りには誰もいません。チームの内部のコミュニケーションにおいても、基本的には電話もしくはビデオで行うことになります。つまり、コミュニケーションのあり方が変わるわけです。

 

オフィスだと、周りに仲の良い同僚もいるかもしれません。彼らと日常について話をすることもよくあるでしょう。雑談がつい長くなってしまって、気がつけば時間がなくなるということもあるのではないでしょうか。

 

こちらは単純に生産性が上がるか上がらないかという議論ではなく、コミュニケーションの質の問題です。一見するとテレワークの方が効率的に見えるかもしれませんが、実はオフィスで仕事している方が生産性を上げる鍵はありそうです。というのも、上述した雑談の中には、仕事の生産性を上げるようなキーがあるかもしれないからです。

 

例えば、雑談の中で、オフィスの中の隣のブロックで働いているチームの今直面している問題を耳にしたとします。その事例をふむふむと聞いている中で、「あれ待てよ、自分たちのチームにも、将来的にそんな問題が起きる可能性があるんじゃないか?」ということに気づき、早めの対応ができます。こうして、雑談を契機に問題を解決することもあるかもしれないのです。

 

そうなってくると、テレワークのコミュニケーションは、あまりにも最適に選びすぎているために、そうした自分の範疇の外にある重要な情報を逃してしまう危険性があります。これはテレワークの潜在的な問題点と言えるでしょう。

 

3.仕事の場所

最後に場所について。オフィスから家へと仕事の場所が変わることによって、集中の度合いは変わります。これは個人差があるようで、家の方が確実に集中できるという人もいれば、オフィスの方が集中しやすいという人もいます。前者の場合、誰にも邪魔されずに自分のタスクに集中できるという点を上げる人が多くいます。一方で後者は、人とinteractiveにならないと効率が上がらないという点を上げる人が多い印象です。

 

ここの生産性の考え方は、人の性格が大きく影響しているかもしれません。MBTIというパーソナリティ調査によれば、人間は人と交流することでエネルギーを得る外向的なタイプの人間と、自分で考えることによってエネルギーを得る内向的なタイプの人間に分けられることができます。これらによってどのように集中できるかは変わってきますので、こうしたタイプも考慮しながら、どちらが効率が良いかを選択する必要がありそうです。

 

総じて、現時点でテレワークが生産性を確実に上げるということは言えない一方で、一部では確実にオフィスで働くことよりもメリットがあることがわかりました。一番良いのは、タイミングやパーソナリティに応じて、テレワークかオフィスかを選ぶことができる柔軟性を持つことかもしれません。

 

 

 

 

『弱いつながり 検索ワードを探す旅』と外出自粛

 

弱いつながり 検索ワードを探す旅 (幻冬舎文庫)

弱いつながり 検索ワードを探す旅 (幻冬舎文庫)

  • 作者:東 浩紀
  • 発売日: 2016/08/05
  • メディア: 文庫
 

 

 統計的な最適とか考えないで偶然に身を曝せ

 

人間は環境に規定される。私たちが思いつくこと、考えること、欲望することは、たいてい環境によって与えられるという否定したいができない現実がある。インターネットの成熟で、人それぞれのパラメーターに適した商品が的確なタイミングで投入される。人々はただそれを自分が欲したかのように与えられる。気がつけば、グーグルの予測検索で満たされた情報を仕入れ、購買行動はアマゾンのおすすめ商品に満たされる。

 
 

 

環境を意図的に変えることです。環境を変え、考えること、思いつくこと、欲望することそのものが変わる可能性に賭けること。自分が置かれた環境を、自分の意志で壊し、変えていくこと。自分と環境の一致を自ら壊していくこと。グーグルが与えた検索ワードを意図的に裏切ること。  環境が求める自分のすがたに、定期的にノイズを忍び込ませること。

 

 

気がつけば、家にこもってネットで全てが型つく時代になってしまった。検索をかければ、自分が気に入ったものが手に入る。でもそれだけでは、自分が知っている情報でしか動くことができない。最適化も良いが、それだけだと何が何だか分からなくなってしまう。外に出て、偶然に身をまかせること、あたらな発見を経て新しい欲望を生み出すこと、それが大事なんじゃないかというのがこの本のメッセージ。

 

今のご時世きついけど、家にこもるのが続くと何だか滅入ってしまう。多分この本で書いてあることが原因なのかもしれない。

 
 

家族帯同でMBAに行く際に考えるべき視点

現在海外MBAを考えている方から、「家族帯同のメリットデメリットを教えてください」という質問をいただきました。私は海外MBAの期間中、妻と子供を帯同していたこともあり、よくこの手の質問を受けるのですが、よく見落としがちなのは以下の点かと思います。

 

(1)家族の帯同によって得られるベネフィットは、家族が日本にとどまることよりも有益か?

ご家族を帯同される場合には、大きな出費になるかと思います。特に私費になると、自身の学費に加えて、住居や生活費等も頭数増えることになりますので、かなりの出費増となります。さらには、帯同のパートナーが働かれている場合、キャリアに1〜2年の断絶が発生してしまいます。それについて、本当に相手が理解を示してくれるのか、慎重に慎重を重ねる討議が必要でしょう。

 

ただ、家族の帯同によって得られるベネフィットは計り知れません。よくよく考えれば、自分の融通の効く時間が1〜2年与えられるわけですので、大事なパートナーとのゆっくりとかつ充実した時間を過ごすにはとても良いタイミングとも言えます。これは仕事の環境においてはなかなか得られることができないので、学業とは少し異なる話ではありますが非常に重要な要素となってきます。

 

(2)家族を帯同するにあたり、清濁併せ吞むことはできるか?

家族を帯同することはそれなりのリスクおよび労苦が伴います。パートナーが海外生活に不慣れだと、生活の立ち上げに時間を要するかもしれません。また、ご自身が勉学に励んでいる間は、パートナーは実質ひとりぼっちもしくはお子様と孤立した状態にならざるを得ないので、しっかりとしたケアが必要です。駐在生活とは異なり、不慣れな海外の中である程度自活して生活して行くことが求められますので、そのあたりを踏まえて検討する必要はあるでしょう。

 

(3)家族帯同によって留学の目標は果たせるのか?

正直なところ、家族帯同によってデメリットも発生します。それが現地の学生とのネットワーキングの時間が削られてしまうことです。家族のケアや一緒にいる時間を尊重するあまり、クラスメートや課外活動の時間がなくなってしまうということは往往にして起こり得ます。これをどう捉えるかによっては、家族を帯同することについては慎重になる方も一定数いらっしゃいます。

 

総じて、個人的な体験談にもなりますが、家族と一緒に留学をするというのは非常に有意義な時間になると同時に、トレードオフも看過できません。そのあたりも踏まえて検討をする必要がありそうです。

 

海外MBAをキャリアに活かすための3つの視点

遅まきながら、先月末をもって、MBA後に転職した会社で半年が経過しました。半年というのビジネススクール換算ですでに半分をすぎてしまったわけですから、時間の流れの早さを感じます。

 

卒業後しばらくたって実務にも慣れてきて、このタイミングで多くの人からよくMBAに関する相談を受けるようになりました。特に私の場合は、日系企業を経て留学し卒業後は戦略コンサルという、ポストMBAとして典型的なキャリアを歩んでいるため、MBA準備はどのようにすればいいのか、学生生活はどのようか、そして就職活動はどうだったかといったような相談を受けるようになりました。その中でも特に「今振り返ってみて、海外MBAでの経験で何が一番有益な学びだったか」「何がよかったか・悪かったか」という質問をよく聞かれます。この質問、MBAホルダーとして実際にキャリアを積んでいる段階として、少し考え方が固まってきたので、少し整理してシェアしたいと思います。

 

簡単に言えば、以下3つの視点に集約されるのかなと思います。

1.MBAはキャリア・チェンジャーではあるが、キャリアそのものではない

最近感じるこの視点。MBAをとること自体はキャリアではありません。そこでの経験がキャリアとして評価されることはほぼないといえます。

 

これは特に私が所属しているようなコンサルティング業界では特に顕著かと思います。例えば、私の場合、前職がメーカーの営業ですので、主にそこでの知見がアドバンテージとして重宝される傾向にあります。一方で、MBAで何を学んだか、何を行ったかについてはほとんど見られません。というか誰もそんなことは気にせず、過去の職業として何を行ったかに注目がいきます。

 

ただ、私に相談に来る方の中にはこの辺りを混同している人がいて、「キャリアアップのためにMBAを」と考えている人がいますが、MBA自体がキャリアとして評価されることはありません。キャリアとして評価されるのはあくまでも前職の経験であり、何を学んだかではないのというところだけは強調したいと思います。

 

一方、MBAがキャリア・チェンジャーであることには疑いの余地はありません。MBAは良い意味でも悪い意味でもつぶしがききやすく、卒業後の進路を考える際選択の幅が非常に多いというのが特徴的です。今まで何らかの職場の経験によって染められた自分の履歴書を、可能な限りリセットしてくれる、そんな効果があります。そういう意味では、私のようにメーカーからコンサルという転職も可能にしてくれたり、私の知り合いでいたような、マーケティングからファイナンス系のポストへのキャリア・チェンジを可能にしてくれるようなものだと考えた方が良いでしょう。

 

ここで何度も強調しますが、MBAがキャリアそのものに活きるのは、こうした方向転換を行う時のみで、後は実力勝負です。いわばどこかに向かうためのチケットのようなもので、行き先に到着した後は、切符が意味をなさなくなるのと同じように、MBAはキャリアとしては意味を持ち得てないのです。

 

2.MBAは、学ぶコンテンツそのものではなく、学びの途中で生み出される問題意識・イシューに価値がある

これは「MBAの学びで何が一番有意義だったか?」という質問に対する、私の答えです。学ぶものではなく、その中で考えたこと自体に意味があると思います(少なくとも、私はそれを生かそうと思っています)

 

具体的にはどういうことか少し説明したいと思います。例えば私が受けたB2Bマーケティングの授業の話。コンテンツとしては、PricingやBuilding trustといったようなありきたりな話で、日本でも本屋に行けばそれなりのリソースは手に入りそうなトピックが並んでいます(それだけ、日本の書籍が有しているコンテンツ力は目を見張るものがあります)。振り返ると、これらの内容については自分で勉強しようと思えば勉強できるもの、と言えなくもないのです。

 

ただ、その授業で一番印象に残っているのが、そもそもB2Bマーケティングをどのように考えるべきかという問題設定の方でした。以前までは、B2Bマーケティングの意義はそこまで大きくありませんでした。重厚長大産業はほとんど垂直統合で車内で何でも行うという方針だったからです。ただ現代では、垂直統合が徐々に解体しており、バリューチェーンの中で異なるプレーヤーが活躍することが多くなってきました。そうした中で、いかにB2Bマーケティングがあるべきなのか、どのようにして、今まで内部に取り込まれていたvalueを、外部の関係で、より目に見える形で獲得していくか、という問題意識を教授が話していたのが印象的です。この視点は、どのような知識を得るよりも原点でのマインドセットという点ではとても良かったと思っています。

 

この授業に限らず、多くの授業で自分の問題意識を掻き立てるトピックはありましたし、学生との交流を通じて培った考え方というのは、これからも財産になると思っています。

 

3.MBAネットワークを活かせるかはあなた次第

最後にネットワークについて。疑う余地もなく、MBAでは今までにないネットワークを培うことができます。特に欧州のMBAだと、それこそ世界中からバランスよく学生が集まっていますので、その幅は非常に広いです。例えば私の場合、同じコンサルティング会社に就職したクラスメートがおり、世界中のオフィスにネットワークが散りばめられているということができます。私の場合チャットグループを作っていて、その所属は多種多様。全大陸をカバーしています笑

 

ただ、これを活かせるかどうかは、どのようなキャリアを求めているかによって変わってくるかと思います。卒業後も日本に引き続きいるということであれば、このネットワークを活かす機会は限定的になりますし、もっとグローバルな場でキャリアを深めていきたいというのであれば、このネットワークは非常に強みになる武器となり得ます。すなわち、MBAのネットワークは活かすも殺すもあなた次第、ということができそうです。

 

 

 

 

『残酷な進化論:なぜ私たちは「不完全」なのか』から、アンラーンを考えてみる 〜読書リレー〜

 久しぶりに読書リレー更新。今の会社に入ってからも、相変わらず本は読んでいるのだが、書かないと忘れる。ということで忘備録も含め書いていきます。

 

 生物学に関して、特に進化論について様々なトピックで話をまとめた本。内容としては、非常に平易に書かれており、とてもわかりやすい。日常に溢れる様々な健康・生活に関するトピックを生物学と結びつけた時にどのようなことが言えるのかをまとめているので、気軽な気持ちで読むことができる。

 

ただ、個人的にこの本から得た学びは大きい。特に、この本で一貫している考え方として(というか自身も驚いた観点)として、「進化とは向上というものではない」というものがあった。

 

進化というのは、単純にその環境に適応するために変化するということであり、機能を向上させるためのものではない。普段我々が進化というと、何か従来できなかったことができるようになるという観点で語られやすい。しかしよくよく考えてみれば、哺乳類は水中での生活から陸上の生活に切り替える際に、水中での生活に必要な機能を削ぎ落としていっているわけだし、ある観点で見れば必ずしも進化とは単線的な成長というわけではないのである。

 

これを読んだ時、「アンラーニング」も進化ではないか考えるようになった。すなわち、学習棄却というのは、何かを捨てるということだが、必ずしも向上というものではない。すなわち、過去に学習したものから、単数の経路でそれをさらにより良くするということではない。新しい環境に適応し、過去に学習し得たものを取捨選択しながら変化させていく、そういうプロセスではないかと感じるようになった。

 

このように考えると、非常にスッキリする。というのも、向上という観点でアンラーニングを考えた際、過去を否定してしまうという自己矛盾に陥るからだ。具体的にいうと、「今までの考え方を捨てて、この会社でやっていくために必要なスキルを習得してください」という言葉を、「キャリアは単線的で、正しいスキルセット習得のために成長していかなければならない」という考え方で解釈してしまうと、「今までのやり方が間違っているから、新しい考え方に刷新しなければならない」という方向に持っていきがちである。そうなると、前者の「今までのやり方が間違っていた」という点にフォーカスがいきがちであり、結果として過去を否定してしまうことになる。これは精神衛生上良くない。というのも、人間誰しも自分がやったことを誤りだと認めたくないからである笑

 

そういう点で、一度別の分野である生物学の観点で、進化とは向上ではないというところの視点をもらえたのは、アンラーニングを考える上でもかなりの示唆になったと感じている。