他己実現でキャリアを求めていないか?ー読書リレーー

 

 

我が校先輩の本。笑 結構この人から受ける影響は大きく、彼の本はほとんど読破していると思う。

 

そんな中でもこの本に着目するのが、仕事とキャリアについて考えさせられたからです。前掲の記事でもキャリアにおける様々な考え方を取り上げましたが、この本はどちらかというと、そうした考えを盲信し、バリバリのキャリアを築き上げて言った人が典型的に陥りやすい現象をコミカルに描いていて、とても興味深いです。

dajili.hatenablog.com

 

この本が指摘する非常に強いメッセージは、簡単にまとめると以下のようになると思います。それは、キャリアを求めすぎる人は、実は非常に強い承認欲求によって動かされており、その承認欲求は外から来るものである以上、自己実現ではなく他人が理想とする何かを求めてしまい、自己実現ではなく他己実現になってしまっている、というものです。

 

これは非常に面白い視点で、自分がやりたいことが、色々と突き詰めて考えると「他人から認められたい」というところが一番にきているわけです。年収をあげたい、キャリアアップをしたいというような欲望は、言ってみればそのステータスを周囲に自慢して承認されたい欲求を満たしているのではないか?という問題意識です。

 

そして、自分にとって何が価値があるのかをはっきりと理解しなければ、自己実現のチャンスはこず、最終的には承認されたい欲望だけで終わってしまうという考え方は面白い。そしてそれを的確に表しているのが、以下の引用。

 

社会に認められてはいるけれど、まったく自分の人生じゃなかった!〟という、マウンティング・ゴリラたちの慟哭に繫がってしまう

 

 

実はどのような価値を見出したいか、これを突き詰めて考え、貫くこと。簡単なようで非常に難しいと思います。なぜなら、そこに資本主義の原理が入り込んでしまうからです。

 

どういうことかと言いますと、自分が信じている価値があり、それを貫きたいとする。しかしながら、その価値が誰も振り向いてくれないようなよくわからないものだったとすると、それを求める人は誰もいません。誰かいたとしても、とても少ない数でしょう。そうなると、その価値にお金を払う人は少なくなります。なぜなら資本主義の中では、需要と供給の関係が成り立つため、ニーズが少ないものについては価値は必然的に下がるからです。すなわち個人の価値と社会的な価値に乖離がある状態になります。そうなってしまうと、個人の価値はどうしても影響を受けやすい。自分の求める価値を維持するために、どうしても社会的な価値に近づけるように修正する必要がある。気がつけば、社会に求められている価値にどんどん近づいていく、ということになります。

 

すなわち、自分の価値を貫くことができるという人は、ある種資本主義の理論を超越して動くことができるような人でなければならないわけです。そんな人はなかなかいませんので、結論のところ、自分の価値を貫くことは難しいわけです。

 

ただ、そこに近づこうともがくことはできる。おそらくそのもがくところに、この著者が言いたい「マウンティング・ゴリラからの脱却」なのでしょう。