福田慎一『21世紀の長期停滞論』〜読書リレー(99)〜

 今の日本を窮状をわかりやすくまとめた良書です。

 現在日本が直面している、長期的な経済停滞の状態についてまとめた上で、果たしてどのような経済施策が有効なのか、という問いについて考えている本です。この本の冒頭で、著者は長期停滞について以下の通り述べています。

 

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深刻な生産の下落を伴う「恐慌」というものではなく、資本主義の崩壊を示唆するレベルのものではない。また、労働市場での失業の増加も限定的で、ケインズ経済学の考えた不況とも性質や症状は大きく異なっている。ただ、GDP(国内総生産) などの数字が示す以上に、景気回復の実感が湧かない経済状態が長期にわたって続き、それがなんとなく経済活動に悪影響を及ぼしている。

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この「なんとなく」というのがポイントで、今の状況を的確に表しています。すなわち、数値的には景気は明らかに回復しているのに、実感として「なんとなく」景気が上向きになっている感じがしない、というものです。これこそが、長期停滞の状況なのでしょう。

 

こうした停滞論について、日本の状況についてさらに著者はこう述べています。

 

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海外で長期停滞論を主張する論者(特に、米国の研究者) の間では、大胆な金融緩和や財政拡張を速やかに実施することが、 21 世紀型の長期停滞からの脱却には、もっとも有効であるとする考え方が一般的である。しかし、日本経済が直面する深刻な構造問題に鑑みた場合、わが国で求められる政策は、極端な金融緩和政策や財政支出の拡大だけでは不十分である。むしろ、日本経済が抱えるもっとも深刻な構造的問題に抜本的にメスを入れ、それを大胆に変革していくことによって、多くの人々が持つ将来不安を解消していくことこそが、いまの日本には求められているのです。

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そして、これを解明することが、今後長期停滞を経験するであろう他の国家にとってモデルケースとなる、と言います。まさしく「課題先進国」の考え方ではないですが、こうした考え方が日本には求められているような気がします。

 

さて、長期停滞を考える上で著者は、貯蓄過剰=需要不足というキーワードを掲げています。これは、需要サイドの観点から長期停滞を論じるパターンであり(もう一つは供給サイドですが、これはあまり注目されていないようです)、主流の議論となっているようです。

 

なぜこの現象が起きたのか。著者は4つの観点をあげています。

1バブルの頻繁な発生 →低インフレと低金利を誘発

2世界的な貯蓄余剰→特に国際競争力を高めた新興国が先進国に対し低価格で大きく輸出を増やし、また金融市場においても資金供給量が急増したために、デフレを招く

3人口減少や高齢化の進行→需要が現象

4世界的な所得格差→賃金格差の拡大により、富が富裕層に一極集中する。このため、経済全体での需要増には結びつかない

 

また、これらに加え日本特有の状況として、「デフレマインド」があるというのが一般的な見解だそうです。デフレマインドとは景気は十分に回復し、需要不足もほぼ解消されているにもかかわらず、ネガティブな捉え方が蔓延することにより、需要を抑えてしまうという現象です。このため、景気は回復しているのに需要が伸びない、という現象が発生してしまいます。

 

そして、これを端的に表しているのが、日本の物価です。この本で紹介されているデータによれば、世界では過去20年の間に、物価が2.5倍に膨れ上がっているそうです。一方で日本は、物価がそこまで上がっていない。いかにインフレが抑えられて来たかがわかる状況となっています。失われた20年の中で、人々が消費を抑えよう抑えようとして来たために、物価が世界と比べて伸び悩んだのです。

 

本書ではさらに分析が続くのですが、思うにこの「デフレマインド」というのが一番の重荷となっているのでは無いかなと。この本を読んで思い出したのが、携帯電話メーカーのファーウェイの日本戦略です。

 

最近ファーウェイは日本に続々廉価版の製品を投入していますが、中国以上に低価格戦略で日本市場に乗り込んでいるわけです。これが中国にいる私からすると不思議に思えました。中国では少し割高な携帯が、なぜ日本では値引きされているのか、この部分が納得できなかったのです。

 

もちろん、市場におけるポジショニングの違いがあるのかもしれません。中国市場においては、シャオミやOppo、さらには名もなき中国ローカルメーカーなど、ローエンドを見れば群雄割拠の状態です。こうしたところと違いを見せるべく、ミドル・ハイレンジを狙った価格戦略をとっているのが中国であるのかもしれません。一方で日本は、ファーウェイ=中国携帯という認識がある以上、低価格でないと顧客が認めてくれない、という状況もあるのでしょう。

 

しかしそれ以上に思うのは、日本人のそうしたコストに対する過剰なまでの敏感さだと思います。良いものを安く、という考え方が根強く残っており、コストパフォーマンスを重視する傾向が強くなって来ています。ファーウェイは、こうした日本の購買意識をきちんと理解した上で、価格戦略を練って来ているのでしょう。

 

こうした点から考えると、少し大げさになるのかもしれませんが、日本の消費者が「より良いものを」という考えではなく、「コスパ」という考えでいる以上、こうした「デフレマインド」は脱却できないのかと思います。ただし、これは「人々の認識を変える」というものですので、とても難しい作業になります。具体的にどのように行なっていくかについては、この本でも論じられていません。その点で、マインドチェンジに向けた議論が必要になってくるのではないかな、と思います。

 

では、では

堀江貴文『べての教育は「洗脳」である~21世紀の脱・学校論~』〜読書リレー(98)〜

 教育論に関する鋭い視点だと思います。

 

堀江貴文氏による、教育論について書いた本。新書ということもあり、データで持って論破するようなタイプの本ではありませんが、一つ一つの主張に説得力があり、教育とは何かについて改めて考えさせてくれる本です。

 

堀江氏からすると、「やりたい」と言いながら行動に移さない人というものがいるという。その原因の一つに、「やりたい」と思いながら、それでもなかなか行動に移せない人たちがいる。現状にさまざまな不満を抱えながら、ひたすら我慢し、現状を受け入れている。これは、学校教育によって「我慢すること」が美徳とされてきたからだ。これを脱却し、しっかりとした知識習得のあり方を考え直すべきだ、というのがこの本の主張です。

 

そもそも、学校教育のあり方について疑問を呈しているというのが、この本のスタンスです。教育というのは近代的な考え方に基づくものであり、いかに人間を「社会的に共同生活ができるようになるのか」「労働者として、規律ある生産活動者にすることができるか」という視点からスタートしているものであり、いわば製品製造と同じで、均一なものを歩留まりを抑えて生産するという考え方でなされていたのでした。

 

しかし現代となっては、そうした均一的な労働というのは姿を消し、数年後には単純作業はAIにとって変わられるような世の中が到来して来ます。そうしたなかで、従来の考え方に基づく教育体系が果たして正しいあり方として今後も存在し続けるのか、疑問が残るというのが、この本が残した観点だと思います。

 

確かに、「学校」というものが、あくまで現実世界と離れた予行練習のものであり、社会に適応するための最低レベルの条件を満たすような水準にならざるを得ないというのは紛れも無い事実のように思います。しかしながら、だからといって学校というのはその概念から生まれて来たシステムである以上、そこから脱却することは非常に難しいのでは無いか、という思ってしまうわけです。

 

堀江氏もこの本で述べていますが、これからの人材としては、「100万分の1の人材になれ」と言っています。他の999,999人にはできない、自分としてのオリジナリティをだせと。そうすることで、自分の市場価値を高めることができると。しかし100万の1というのは一見すると非常に大変なことです。しかしこれを、人とは違う100分の1の分野を3つ作ることで、100万分の1の人材になることができます。例えば、数学で100分の1、英語で100分の1、歴史で100分の1となれば、これは100万分の1の人材になることができる、という考え方です。

 

しかし、こうした人材というのは、希少価値があればあるほど良いとされているので、学校教育のように、「全ての人に同じことをさせる」という場所ではそもそも育成することが不可能なわけです。そのため、こうした人材育成というのは、学校に求めるというよりかは、別の部分で探してく必要があるということがわかります。ですので、今の人材論としては、学校教育にその原因を求めるというのは、少し焦点がずれているのかもしれません。

 

学校教育に限らない、人材の磨き方とは何か?色々考えさせてくれる本です。

 

では、では

遠藤功『生きている会社、死んでいる会社』〜読書リレー(97)〜

その会社は、生きているか?それとも死んでいるか?

この観点で会社をみると、面白いように本質が見えてくるように思えます。

生きている会社、死んでいる会社

生きている会社、死んでいる会社

 

 

タイトル通り、会社には、黒字・赤字の他に、「生きているか、死んでいるか」という生命的な観点があるのではないか?という想いから、どういう状態が生きている状態なのか、またどのようにすれば会社を生きたものにすることができるのか、という点について、著者の30年の経営コンサルティング経験に基づいた知見からまとめたものです。分量自体は多いのですが、具体例・ケースが多く、かつ論理展開が非常に明快であることから、とても読みやすい本となっています。

 

なによりも、この観点で整理すると、会社の本質が非常に明瞭に見えて来ます。著者の「生きた」状態を端的に表す言葉として、「Day1」というものがあります。これはアマゾンなどアメリカのIT企業で盛んに言われている言葉であり、「会社を始めた1日目のように、社員が熱気とモチベーションに満ち満ちている状態」というものです。これがあると、たとえ事業が赤字であっても、新しいことにどんどんチャレンジする野心的超挑戦やすぐに試すという実践が行われ、結果として企業の活動の本質である価値の創造が行われます。しかし一方で、車内がマンネリ化してくると、なんとなく社内に慣例を重視するような抑制が働いたり、見える化という号令のもと管理が強化されて行ったりと、閉塞的な状態になって生きます。これを著者の言葉では「老いていく」と言います。

 

しかし、この老いていく状態というのは、企業が大きくなるにつれて、ある意味では不可避的なことなのです。ではそのサイクルを断ち切るためにはどうすればよいか。著者は「会社の新陳代謝が必要」と述べています。すなわち、業務のやり方を見直す、人の配置を変える、また大きな話になると、事業自体を見直す、といった新陳代謝を活発にするのです。こうすることによって、会社は常に生きた状態をキープできるというのです。

 

では、生きている会社にするために、必要なものはなんでしょうか?著者はこれを平易な言葉で「熱」「理」「情」だと言います。

「熱」:会社の理想。共感性の高い共通目標。

「理」:合理性。戦略レベル・行動レベルでのロジック

「情」:社員一人ひとりの心を満たすもの。やりがい、承認欲求の充足

この独立した三つのキーワードを重ね合わせていくことが不可欠だというのです。

 

要するにこの本では、会社を「生命体」と見做すことによって、独自の視点を築き上げています。この本に出てくるケーススタディ自体は真新しいものはありませんが、著者の主張を支える事例として非常にスッキリと頭の中に入って来ます。

 

これは他のところでも語られているところですが、日本の企業は新陳代謝があまりなされていません。Forbes500にランクインする日本企業は、20年前のそれと比べても大差ないわけです(就職ランキングは大きく変わっていますが笑)。一方で、他の国々はランクインする企業がガラッと変わっているわけです。ここに、いかに新陳代謝がなされていないかを見て取ることができます。

 

また、日本社会の中には、そうした新陳代謝をどこか倦厭する風土があるようです。例えばSHARPが業績悪化によりホンハイに買収されそうになったときにも、「日の丸技術の流出」といって、かなりネガティブに捉える世論が多かったと思います。こうしたM&Aの動きはすでにビジネス界では活発になっているにもかかわらず、です。ここから、日本人の安定志向が、こうした新陳代謝を阻んでいると考えることができるでしょう。

 

しかし、それではいけないと著者は警鐘を鳴らします。会社自体の新陳代謝とまではいきませんが、事業の新陳代謝を促進するためにも、ビジネスリーダーが必要だとしています。日本も考え方を変えていかなければならないのですね。

 

では、では

下野隆祥『世界一のサービス』〜読書リレー(96)〜

 4月になりました。新しい一年の始まりではありますが、このブログでは継続して読んだ本のレビューを行なっていきたいと思います。

世界一のサービス (PHP新書)

世界一のサービス (PHP新書)

 

 

高級レストランのサービスマンの視点から見た、サービスに対する持論を展開する本です。新書らしくコンパクトな一冊に、経験則から導き出されたサービスに関するいろいろな理論が散りばめられていて、私のような高級レストランには疎いような平凡サラリーマンでも、「高級レストランのサービスとはどういうものなのか?」という問いに対する基本的な考え方を提供してくれる本となっています。この観点から見ていくと、高級店などで見られる「サービス料」というものがいかに妥当なのかがわかって来ます。

 

この本で紹介されている考え方は簡単にはまとめられないのですが、それでもあえてするのであれば、「サービスマンは、お客様に敬意と愛情を持って接し、料理を出すタイミング、ワインを注ぐタイミング、お水を注ぐタイミング等、全神経を集中してお客様にとって快適な空間を演出する。」と言えるでしょう。そして「快適な空間」というのがポイントで、これがケースによって異なるから、難しい。

 

例えば、ある常連客が来たとして、いつも飲まれるワインがあったとします。しかしその日は顔色が悪かったとして、「ワインはいつものにされますか?」と聞くのが果たして正しいのかどうか、というようなケースです。これになってくると、経験則から、ひたすらセンスを磨き上げていくしかないのではないのではないかな、と思ってしまいます。

 

しかし、だからと言って臆することなく、著者は様々なシチュエーションで、「これだったらどうするか?」というのを常に考えていたというのです。いわゆる「意図的な練習」というものなのですが、こうした熱意は本当に凄さを感じます。

 

ビジネスマンも、接待などでレストランを使うこともあるかと思います。サービスマンの立場から、テーブルマナーを考えてみるのもいい機会かもしれません。

 

では、では

前田裕二『人生の勝算』〜読書リレー(95)〜

こういう本は評価が難しいです。

人生の勝算 (NewsPicks Book)

人生の勝算 (NewsPicks Book)

 

 

SHOWROOM社の代表である前田裕二氏による、ご自身の人生における体験談と、そこで培った仕事論などについて述べられた本です。以前どこかの本でオススメされていたので、なんとなくチェックしていたのですが、Kindle Unlimitedで読み放題の対象になっていたので、無料で読むことができました。Kindle Unlimited、本当に便利です。

 

内容自体は、巷で見られるような「成功者の半生をたどる」といった類いのものであり、それこそ前田氏が入社したDeNA南場智子氏が書かれた「不格好経営」に似たような構成になっています。ただし、『不格好経営』がどちらかというと失敗談に近いようなものが多く書かれているのに対し、本書では、著者がどれだけ努力したか、愚直に頑張ったかが書かれている、オラオラ系の感じが見て取れます。

不格好経営―チームDeNAの挑戦
 

 

内容自体には特に真新しさはなかったので、ふんふんと読んでしまったのですが、(例えばメンターを持つだとか、セールスはバカになったほうが良いとか、コミュニティは参加型にしていくべきだ、などなど、さも自分が発明したかのような記述をされていますが、他の本でも至る所で言われています。またSHOWROOMのビジネスモデル自体も、結局は中国発のライブストリーミングサービスの日本版といった感じで、特に真新しさも感じられません)

 

最近思うのは、こうした若手起業家の発信の多さです。この方も1987年生まれのいわゆるミレニアル世代。若くして起業されて、社会からは「成功者」という観点で見られるのかもしれませんが、そうした方が日本で、書籍などを通じて続々と発信しているのです。前田氏以外でも、Wantedlyの仲暁子氏も「新モノづくり」論という形で、本を出していますし、前回ブログで紹介しましたが、佐藤航陽氏も、起業家としては珍しく、本を何冊も出版しています。本を出版しすぎているので、どちらが本業なのかわからなくなってしまいます笑

ミレニアル起業家の 新モノづくり論 (光文社新書)

ミレニアル起業家の 新モノづくり論 (光文社新書)

 
未来に先回りする思考法
 

 

ただ、こうした本に斬新なアイディアがあるのかというと、実はそうではないケースの方、というのが私の印象です。私自体が本を書いたことがないので大それたことは言えませんが、一応人よりも多く本は読んでいる(つもり)ですので、そうした読書体験から判断するに、大抵は、アメリカや中国などで言われている議論の焼き増し的な感じなのです。

 

また、では単純に読み物として、ノンフィクションのストーリーとして面白いかというと、そういうわけでもない。ナイキ創始者であるフィルナイト氏の半生を描いた『SHOEDOG』や、ピクサーエドキャットムル氏が書いた「Creativity Inc(邦題:ピクサー流 想像するちから」だったり、日本で言えば本田宗一郎氏の参謀として本田技研をトップ企業にした藤沢武夫氏やヤマト運輸小倉昌男氏などの本に比べると、深みに欠けるというのが印象です。

ピクサー流 創造するちから――小さな可能性から、大きな価値を生み出す方法

ピクサー流 創造するちから――小さな可能性から、大きな価値を生み出す方法

 
SHOE DOG(シュードッグ)

SHOE DOG(シュードッグ)

 

 

小倉昌男 経営学

小倉昌男 経営学

 

 

経営に終わりはない (文春文庫)

経営に終わりはない (文春文庫)

 

こうしたミレニアル世代というのは、外資系でバリバリ働いて、社会的使命で起業しました、という類いのストーリーでほぼ一貫している、いわゆる「優等生の回答用紙」的な本が多い印象を受けます。本を出したタイミングというのが若すぎる、というのがあるのかもしれませんが、ストーリーの深みに欠けるのもこうした本の特徴です。

 

それでもなお、どうしてこうした本が続々と世に出ているのか?これがミレニアル世代の特徴、といってしまえばおしまいですが、どうやらこの世代は「社会的使命を持って仕事をする」ということが美徳とされているのかもしれません。これもまたNewspicksBookなのですが、『モチベーション革命』という本の中で、今の若い世代(20代、30代)は、仕事のモチベーションが従来とは確実に異なっており、「やりがい」や「社会的使命」を大事にするのだといいます。こうした若い起業家の考えが、多くの人を惹きつけることにつながっているのかもしれません。

 

では、では

 

 

西川恵『知られざる皇室外交』〜読書リレー(94)〜

 

知られざる皇室外交 (角川新書)

知られざる皇室外交 (角川新書)

 

 

社会派ブロガーとして有名なちきりん氏が自身のブログ「Chikirinの日記」で「これぜったいおすすめ!」とコメントしていたので手にとって読んでみました。分量としては新書の割には多めですが、非常に内容が濃い。

 

私のような凡人が普段生活している中ではあまり気にすることのない皇室ですが、日本の象徴として外交面での功績があるのであり、その点を改めて評価するべきなのではないか?という内容の本です。皇室外交という題名ですが、これは宮内庁からすると「皇室は外交はしていない」ということですし、実際皇室は政治・外交とは距離を置く立場で活動を行なっているのですが、皇室の海外訪問によって関係を修復・向上させるケースは枚挙に遑がないことが、この本からわかります。むしろ、皇室のある程度フェアな立場をうまく利用することで、こうした難局を乗り越えてきた、という姿がみて取れるのです。

 

私にとって新鮮だったのが、オランダとの関係修復です。サッカーで強い、というイメージしかないような今のオランダですが、第二次世界大戦後における反日感情はひときわ目立っていたというのです。大戦時、オランダが統治していたインドネシアに侵攻し、駐在していたオランダ人を捕虜にし、過重労働などの厳しい待遇を強要させたそうです。このことがオランダ人の集合的記憶として残り、反日感情につなげて言ったというのです。しかしこれを皇室の交流によって解決へと導くのです。

 

外交上重要な働きを帯びるのが、その国の国家元首であったり、政治家であったりするわけです。そうした人々が、日本に公務で来るときに、接することができる日本人というのが皇室の方々な訳です。このため、皇室の方々の与えるイメージ次第で、一国のトップの日本観を変えることができる、というのが事実なのです。実際この本でもそうした事例が数多く紹介されています。

 

また、両陛下の日本戦没者慰霊の旅についても取り上げられています。今週両陛下は沖縄を訪問されましたが、そこでも第二次世界大戦における戦没者の慰霊を行なっております。これに限らず、南・西太平洋諸島にも足を運び、戦没者の慰霊のみならず現地の人との交流も行なっています。こうした事実は第二次世界大戦に対する日本のスタンスを、改めて発信していることにつながっているように思えてならないのです。

 

では、では

落合陽一『日本再興戦略』〜読書リレー(93)〜

 タイトルはかっこいいですが、最近のバズワードまとめサイト的な本です。

日本再興戦略 (NewsPicks Book)

日本再興戦略 (NewsPicks Book)

 

 

落合陽一氏による、日本再興について日本ができることについてまとめた本です。多くのメディアで取り上げられており、非常に注目度の高いとされる本ですが、内容は、単行本としては少し浅く広くな薄い印象です。

 

落合氏は、「これからの日本再興のために大切なのは、各分野の戦略をひとつずつ変えるのではなく、全体でパッケージとして変えていく」ことが重要と考えており、この本でも、欧米と対比する形で日本のあるべき姿を浮き彫りにし、世界を変えるテクノロジーについて紹介をした上で、政治・教育・仕事の3分野でそれぞれどのように変わっていくかについての考察が論じられています。

 

非常に内容が多岐にわたっており、これだけをまとめるのもすごいとは思うのですが、逆にカバーする範囲を大きくしすぎてしまっている感があり、それぞれの議論がどうしても表層的なものになっているような印象を受けます。

 

例えば、欧米と日本は異なると言う点を説明する際に、「日本は東洋的」と言うふうに説明を行なっていますが、では東洋的と言うものがなんであるのかについては、具体的に掘り下げて議論を行なっていません。こうした西洋/東洋を対立軸においた日本論というのは古くから存在しており、古いところでは社会学者の阿部謹也や、もっと軽めでいうとルース・ベネディクトのような人が、日本人とは何かについて議論を行なって来ました。また中国との関係性からアジアの中の日本を説いた竹内好など、専門的な言葉で言えば日本人論の「先行研究」 はたくさんあるわけです。そうしたところには一切触れていないため、納得はできるがいまいち奥行きにかける、というような印象を与えてしまうのです。

「世間」とは何か (講談社現代新書)

「世間」とは何か (講談社現代新書)

 
日本とアジア (ちくま学芸文庫)

日本とアジア (ちくま学芸文庫)

 

 

また、テクノロジーの部分でも、自動運転や5G、VRやロボティクスなど、今ホットなトピックの紹介にとどまり、「日本にはチャンスがある」という議論に終始しています。自動運転や5Gについては、他の専門書を漁ったほうが良さそうかな、という印象です。

 

次に、「人口減はチャンス」とし、日本が体験する未曾有の高齢化社会は、いずれ全世界にも訪れるのだから、そこで培ったノウハウを輸出すれば良いとしています。しかしこれも、10年以上前に東京大学教授の小宮山宏教授が「課題先進国」という形で表現しています。

「課題先進国」日本―キャッチアップからフロントランナーへ

「課題先進国」日本―キャッチアップからフロントランナーへ

 

 

さらにビジネスのリーダーシップについても、「リーダー2.0」という新しい概念を打ち立てています。しかしこれも神戸大学経営学院教授である金井壽宏氏が著書で論じているリーダーシップ論や、世界に目を向けるとハーバード大学のリンダ・ヒル教授が提唱する「逆転のリーダーシップ」といった、最近のトレンドに近いところがあります。しかし本書では、そうした先人の議論については触れずにとどまっています。 

サーバント・リーダーシップ入門

サーバント・リーダーシップ入門

 
ハーバード流 逆転のリーダーシップ

ハーバード流 逆転のリーダーシップ

 

 

総じて、非常に壮大なテーマがあり、マクロ的な視点から俯瞰するにはもってこいの本かもしれません。ただし、大風呂敷を広げてしまったがために各論の深掘りが少ないような印象を受けます。そのために、「全体のパッケージとして変えていく」という点において、各論の弱さゆえに土台がしっかりしておらず、ビジョンがぼんやりとしてしまっている印象があります。

 

では、なぜこんなにもこの本が取り上げられているのか、という点が気になります。個人的に思うところが、やはり多くの日本人がこのタイトルに惹かれるのかなと。なんだかんだ言って日本人はナショナリズムが残っていて、誰しも日本を良くしたい、という思いを少なからず持っているのかもしれません。そして、なんとなくおぼろげに「このままでは日本は危ないのではないか?」という、そうした危機意識を持っているように思えます。ただ問題なのは、それが具体的に何を示しているのか、どうすれば良いのかという点について、社会全体で明確な答えが出せないでいる、という状況に陥っている点なのかもしれません。そうしたモヤモヤ感を抱いている人にとっては、この本のタイトルに何か惹かれるものを感じたのでしょう。

 

そういう意味では、この本の構成からは、そうした考えを漠然と抱いているマジョリティを読者として取り込む戦略をとっていると読めなくもない部分があります。その実例として、この本の注釈の多さにあります。「はじめに」でも、フランスの古典なんじゃないかというくらい注釈が多く書かれておりますが、吉田松陰、わび・さび(それぞれ別の注釈です!)など、有名すぎる有名人、有名すぎるキーワードについても注釈が振られています。この注釈が意味するのは、「この本が想定する読者は、吉田松陰がわからない人、わび・さびがわからない人です。」ということだと思っています。そういう点では、この本は、そうした知識がないようなマジョリティ層に対しても発信をしようとしたのかもしれません。

 

いずれにせよ、良くも悪くも、こうしたもやもやした社会の考えを反映しているのが、この本なのではないかなと思ってしまうわけです。日本社会のアイデンティティをめぐる問いは、これからも続きそうかな、と思ってしまいます。

 

では、では