読書リレー(43) いや、日本語は凄い発明をしたと思うー「日本語の宿命」
この本では日本語をネガティブに捉えていますが、むしろ日本語の功績を讃えてもいいのではないでしょうか?
社会科学を理解できないのは、社会科学の概念の日本語訳に問題があるー社会学者の著者による、別の視点からの社会学の分析です。明治時代の近代化に伴って輸入された欧州発の「社会科学概念」について、その日本語が曖昧な表現があるために、日本人は社会科学に対する理解が進まない、というのが本書の論旨です。例えば、大衆という言葉は、MassもPolulationも表している。これでは紛らわしい。このような具体例がたくさん織り込まれているのが、この本の特徴です。
しかしながら、私はこの論旨は少し違和感を覚えます。そもそもこうした近代化に伴う社会科学の概念は、言語の問題はともかく、それが欧州に端を発するため、欧州の文化的・社会的背景を含んでいるということを忘れてはいけません。また、言語的に見ても、全く語源が異なるものを訳すというのは相当な困難が伴います。
むしろ、そうした困難が伴う作業を、日本語が行なった、という点を評価すべきなのではないでしょうか?もちろん100%の理解は原点まで遡る必要がありますが、大多数の人にとってその作業は必要ではありません。むしろ、そうした複雑な概念を日本語で表現することが可能になったことで、多くの人が、異文化から端を発した社会学的な観点を、そう違和感なく吸収できる。これは凄いんじゃないかと。
ちなみに、当時の中国の知識人は中国の近代化のため、こうして日本人が作った社会科学の漢語表現を、中国に「逆輸入」したのです。実際、大衆・民主主義・政治などと言った複雑な社会科学のキーワードは、日本語と中国語でほとんど一致します。
普通だと、日本語で言うところの「外来語」として、当て字を使うのではないのでしょうか?例えば、日本の製造業が世界を席巻した時、その製造工程の効率化を図る言葉として、「カイゼン」と言うキーワードが欧米世界で流行しました。でもこの「カイゼン」は、特に訳されることなく、そのまま「Kaizen」とされたわけです。これでは、意味がわかる人にしか真意が伝わらないですよね。
そうしたことをせず、自分の言葉で表現しようとした。これは、功績と言ってもいいのではないでしょうか?
では、では