ミル『自由論』〜読書リレー(88)〜

Kindle unlimitedを用いて光文社古典新訳文庫が読み放題であることは前回も取り上げました。今回も読み放題サービスを使って古典に読み浸るサイクルができつつあります。

 

自由論 (光文社古典新訳文庫)

自由論 (光文社古典新訳文庫)

 

 

今回は、ミルの「自由論」を読んで見ました。過去(といっても数十年前ですが)に読んだことがあるこの本ですが、光文社古典新訳文庫で再度翻訳されているのがプラスに働いているのか、それとも自分の読解能力が上がったからなのか、前回の印象と違ってかなり読みやすくなったイメージを受けます。人生を通じてなんども読み返すことができ、毎回違った印象を受ける。これこそが、一般的に古典と言われている書籍の良い点なのかもしれません。

 

さて、今回の本について、単純な解説についてはここでは省きますが、簡単に言えば、人々の自由の境界線について述べた本、ということができます。行動の自由並びに、思想と言論の自由について、それぞれどのように自由が認められるべきなのか、どのように考えるべきなのかがここでは論じられています。今では当たり前と思われるような議論ではありますが、それらを改めて振り返る点では、とても良い思考の体操になります。

 

私が特に印象深いと思うのが、こうした自由を認める議論の背景に存在する、ミルの民主主義に対する見方です。この本では、「多数派の専制」という言葉で表現されていますが、これは一体どういうことか。ミルによれば、民主主義が浸透した社会では、民主主義の社会では、得票数などによって自他共に承認される「多数派」が、自分たちの意見を「真理」と見なしてしまうことで、意見の異なる人たちに対して、不寛容になる傾向がある、というのです。この傾向が続くと、多数派ではない意見を持つ人々は非難され、活躍の場を与えられなくなってしまう。そして、もしそうした少数派の中に、世界を変えるような独創的な意見や着想を持つ人がいたとしても、そうした考えが抑圧されてしまうために、社会の停滞につながってしまう、という点に警鐘を鳴らしています。

 

では、民主主義で優位とされる「多数派」が正しいのか?必ずしもそうとは言えません。ここに、多数派の専制の危険性が見られます。多くは、実は自分の意見を持っているとは限らず、単純に、多くの意見になびくといったような「人気投票」のような形で考えをまとめる人が多い可能性もあります。そうした中では、多数派の考えが必ずしも正しいとは限らないのです。こうした危険性があるために、ミルは人間の行動や思想に自由が認められるべきだとしています。

 

現代においても、ミルが嘆く「多数派の専制」が発生するケースが散見されると思います。こうした事態に直面した時、もう一度我々は忘れかけている自由と民主の線引きを考え直すべく、この本に立ち返る必要がありそうです。

 

では、では