佐渡島庸平『ぼくらの仮説が世界をつくる』〜読書リレー(133)〜

気がつけば6月入って初めての読書リレーです。読書のペースは今も衰えていないのですが、徐々にMBAの準備に伴いMBAトピックに比重をおいているため、少しずつ読書リレーは少なくなってくると思われます。まあ、粛々とやっていきましょう笑。

 

ぼくらの仮説が世界をつくる

ぼくらの仮説が世界をつくる

 

 

漫画の編集者として、「ドラゴン桜」や「宇宙兄弟」などの数々のヒット作を生み出して来た著者による仕事論をまとめた本です。仮説から物事を考えていった方が良いという主張がメインでされています。「世界は、誰かが思い描いた「仮説」でできている」というのが著者の主張です。

 

著者曰く、人間は何か決断や行動をするとき、どうしても行動の前に情報収拾をしてしまうと言います。これは人間の行動として仕方ないのですが、これをやりすぎるあまり、前例主義に陥ってしまうと指摘します。なぜなら、情報をベースに意思決定をすると、与えられた情報というのは全て過去のものであり、過去から未来を予測してしまうことになるため、どうしても過去に行った決定や事象を元に判断をしてしまうことにつながるからだと言います。

 

それらを断ち切るためには、「情報→仮説→実行→検証」ではなく「仮説→情報→仮説の再構築→実行→検証」という順番で思考する、というのが有効だと言います。すなわちまっさらな状態で仮説を立ててみる。そうすることで、新しいアイディアが生まれていくと言います。

 

個人的には、この考え方は否定しません。情報から先に集めてしまうと、どうしても情報に縛られてしまう。また、情報を先に集めてしまうと、全ての情報を一旦集めるということになり、莫大な労力がかかります。これでは短期間で結果が求められるビジネスの世界においてはタイムアップになる可能性が非常に高く、有効な手段ではないからです。これと同類の主張は大前研一氏の伝説の書「企業参謀」や、BCGの内田和成氏の「仮説思考」に詳しいです。

企業参謀 (講談社文庫)

企業参謀 (講談社文庫)

 

 

仮説思考 BCG流 問題発見・解決の発想法

仮説思考 BCG流 問題発見・解決の発想法

 

 

ただ、この本に関していえば、論理的誤りが散見され、読んでいて「いやいやちょっと待って」と思う記述が多かった印象を受けます。例えば、この本ではこの仮説思考の有効性を証明する実例として、宇宙兄弟をどのようにヒットさせたかの行動を取り上げています。ここで取り上げられているのは、ターゲットを宇宙に興味がなさそうな20代・30代女性に絞り、彼女らのコミュニケーションの場である美容院にプロモーションをかけることによって着実にファンを増やしていったという事例です。宇宙に興味がなさそうな女性にスポットライトを当てるという点で、とても独創的な仮説に見えるのですが、この仮説はどこから来たかというと、著者が所属する出版業界において存在していた「ヒットするためには女性の支持が不可欠」という鉄則から来ていたようです。ここからは、「何もない更地から仮説が生まれた」とは言いがたく、結局は出版業界のセオリーを宇宙兄弟においても当てはめただけであり、ある意味では前例主義にのっとったものだ、といえなくもないでしょう。

 

加えて、本書の後半の部分で、時代の流れを知ることは大事だと述べているのですが、そこで時代の流れの見極めのために「過去にも同じようなことがなかったかを想像している」と述べています。これは、結局過去の情報をベースに仮説を立てているに過ぎないわけで、結局は「情報→仮説→実行→検証」のサイクルに乗ってしまっているんじゃないか、とツッコミを入れたくなるところでした。

 

私が思うに、何か新しいアイディアが生まれるのは二つのパターンしかなくて、一つは異なる二つのものを組み合わせて新しいものを作る着想的な手法と、あとは本当にゼロから新しいものを作り上げる直感的な手法があると思います。後者については、山口周氏が述べるような「クラフト(経験)」や「サイエンス(分析・科学)」ではない、「アート(直感)」だとして、センスの問題だと思っています。このセンスというものは厄介で、そんな一朝一夕でできるようなものではないので、全ての人が等しく使える手段かというと、そうではないと思います。

 

 

ただ、着想についてはセンスは必要なく、色々な知識を広く浅く蓄えることによって、組み合わせによる新しいアイディアを生み出すことができると思っています。このためには、仮説の時点で多くの引き出しが持てるよう、様々な知識を蓄えることが大事なのかなと思うわけです。前例主義だと言われても、それが違う場所で適用されれば前例ではなくなるわけで、そうしたアイディアを出していくことこそ価値あることなんじゃないのかなと改めて再認識したのがこの本です。

 

では、では