中野剛志『日本の没落』〜読書リレー(135)〜
タイトルから、日本の現状を鮮やかに浮き彫りにした分析本かと思いきや、100年前に出版された本のレビューであるのがこの本です。この本では、その内容の大部分を、ドイツの哲学者オズヴァルト・シュペングラーが1918年に執筆した『西洋の没落』という本の解説に当てています。内容も多く読み応えがあり、改めて原著を読んでみようという気になります。
この『西洋の没落』という本には、1918年時点で共有されていた進歩史観という歴史観を否定し、これからは文明による没落の時代がやってくるという予言がなされています。著者によれば、現代の現象の多く、すなわち経済成長の鈍化、グローバリゼーション、地方の衰退、少子化、ポピュリズム、リベラリズムの失効、環境破壊、機械による人間の支配、非西洋諸国の台頭、金融の支配などは、全てシュペングラー氏によって予言されていたと言います。
ではなぜ、現在が『没落』の時代だと言えるのか?それはシュペングラー氏の哲学に関係すると著者は述べています。人間を含む全ての生き物には知能と生命の二つの存在があり、本来であれば、生命の存在の上に成り立っているはずの知能が独立して活動するようになることがあると言います。そうしてそれが過度になってしまうと、生命自身を脅かすようなことにつながります。これがいわゆる没落の状態だとシュペングラー氏はいうのです。これは、グローバリゼーションによって人々がその土地に根付いた固有の文化を失い、加えて経済が停滞している中で人間の生命そのものが脅かされている、そんな現在の状態を予言していた、ということに繋がるのでしょう。
なぜ知能が過度になり、暴走してしまうのか。著者はゲーテの名著『ファウスト』を取り上げて説明します。そうした人間をファウスト的人間と呼称しているのですが、ファウストは「引き起こされる結果には目もくれず、ただひたすら、技術の進歩や事業の拡大に向けて邁進する」人物として描かれています。それはいつまでも幸福が満たされず、いつまでも行為に餓えている状態なのですが、こうした魂を人間が持ってしまったからこそ、すなわち際限のない成長を求めてしまったからこそ衰退をたどる運命にあるというのです。
個人的に面白いと思ったのはシュペングラー氏の考え方のほうです。彼はこうした没落の状態を悲観的に見ているわけではなく、むしろ肯定的に捉えています。そして、優れた哲学もそうしたファウスト的魂から出てくるとしています。それは著者も何度も引用している以下の言葉にあらわられています。
「自分は主張する。今日より優れた哲学者は実験心理学のくだらない手仕事をしている連中のなかにはいないで、多くの発明家、外交家、財政家のなかにいると。これはある歴史的な段階において、絶えず生ずる状態である」
すなわち、現在の時代が没落の時代と受け止めた上で、それでもなお悲観的になることになく運命を引き受け、頑張り抜くことが大事なのだという考え方です。
もちろん、シュペングラー氏が主張するように、現在が本当に没落の時代なのかは、個々人の定義によるものなのでなんとも批判のしようがありません。進歩史観を否定するというのは重要な作業かもしれませんが、かといって過度に否定的になっているのかもなと思うのもまた事実です。ただ、何れにしてもシュペングラー氏が述べようとしていた点については大いに納得できるものであり、現在を視る切り口として面白い解釈を提供してくれているような気がします。
では、では