クラスメートがオープンになったところで、多様性下でのコミュニケーションについて考えてみる

INSEADでは、5つある学期(これを我々はピリオドと呼び、P1、P2のように表記します)のうち、P1とP2は必修科目となっています。そしてこの学期では、メンバーが固定された「クラス」に基づいて授業が行われます。1グループあたりの人数や例年70名で、国籍・年齢・職歴など、うまくバランスのとれた構成となっています。

 

そのクラスがいよいよ公開となりました。といっても公開されたのはだいぶ前の話であるらしく、私はだいぶ遅れをとってその情報を見ることができました。このデジタルデバイド感は否めません笑

 

簡単にクラスを紹介すると、構成員は76名。平均年齢は28.7歳で、最年少は25歳、最年長は33歳と多岐にわたっています。国籍もバラバラであり、最大派閥のインド・アメリカが各9名ずつとなっています。そのほかマイナーどころでは、ザンビア・エジプト・スロヴェニアアルメニアカメルーン・タイ・ベトナムウクライナ・ペルー(各1名ずつ)などなど、非常に多岐にわたっています。職歴もこれもまた多様で、マーケティングからエンジニア、コンサルに会計士、さらには空軍のパイロット(!)など、本当にここはどこだと思うくらいの多様性です。

 

とまあ、MBA受験の時から自分が重視してきた「学生の多様性」という点を、今まさにリアリティを持って経験することになるのですが、いざこうした多様性を目の当たりにすると、どのようにコミュニケーションを取るべきなのか如何とも想像し難いところがあります。

 

少なくとも現状わかっているのは、人はそれぞれ自分の得意なコミュニケーションスタイルがあって、それに基づいて人と接していたということです。例えば私の場合、「中国語ができる日本人」というある種特殊なバックグラウンドを駆使して、「実は中国語が喋れて」というところを掴みにすることでアイスブレーキングをしていました。

 

しかし、このスタイルも、INSEADの多様性の前では有効にはなり得ません。私のように第三外国語ができる学生はごまんといますし、ずっと同じ国で働いていたという人を探すのが難しいほど、学生のロケーションも多様性に富んでいます。そんな中で、私のようなバックグラウンドは決して特殊でもなく、差別化できるほどのものでもありません。「中国語できるの?ふーん」というのがここの基準だということに痛感しました。

 

コミュニケーションというのは、コンテキストが必要になります。コンテキストとは話し手と受け手が共通して持っている知識であり、それに基づいて情報のやり取りを行なっていくわけです。時には、お互いがどういうコンテキストを持っているのかという確認作業を行うこともコミュニケーションの一つとして考えられますが、一つの社会にいる以上、ほとんど同じコンテキストを持っていると考えられます。普段生活していく上においてはこうしたコンテキストそのものを考えなくても良いわけです。

 

しかしMBAのコミュニティでは、「学びを得たい」「受験が大変だった笑」という点を除き、学生の間に共通するコンテキストはなんら存在しません。それぞれのバックグラウンドもバラバラ、MBAにきた目的もバラバラということで、共通項を見つけることが非常に困難なわけです。いわば、MBAのコミュニティというのは、人工的に作り出された究極的なローコンテキストの環境だと言えることができます。

 

ここでのコミュニケーションは、相当困難と言えるかもしれません。今まで無意識に自分が取り入れていたコンテキストに気づき、それを取り払い、ローコンテキストな環境でも耐えうる自分のスタイルを再構築する、という作業が必要になるわけです。ただ逆に言えば、ここでコミュニケーションを取れたら、逆にガラパゴス化したスーパーハイコンテキストな社会に身を置くことをしない限り、どこでも通用するコミュニケーション方法を会得できるかもしれない、ということになります。

 

正直大変なところもありますが、早速このコミュニティから学びを得ているということであり、やはり多様性は良いなと思うところでもあります。

 

ということで、こんなとんでも集団ですが、どんな授業になるのか、今から楽しみです。

 

では、では