大鹿靖明『東芝の悲劇』〜読書リレー(64)〜

 

東芝の粉飾問題については、何か今の日本の縮図のようで、何か感慨深いものがあります。

東芝の悲劇 (幻冬舎単行本)

東芝の悲劇 (幻冬舎単行本)

 

 

新聞記者による、東芝の問題についての一連の動向についてまとめた本。形式としては、新聞記事や当事者(歴代社長、幹部社員など)のコメントを盛り込んだ、長編の「まとめサイト」的な印象。この本以外にも東芝の問題についてまとめた本は多く存在しますが、この本はどちらかと言うとディテールを詳細に描写していると言うのが特徴です。

 

この本は一貫して、経営層を批判しています。彼らは当事者であるにもかかわらず、どこか「他人事」のような振る舞いをしていると言う点を指摘しています。こうした事象が発生してしまったのは、経営層の判断に問題があったとズバリ指摘しているのです。

 

また、粉飾に際し事実を隠蔽(明るみに出さなかった)してきた専門家たちについても批判の矛先が向けられています。彼らにはプロフェッショナリズムにかけている、と。

 

私はどちらかと言うと、こうした粉飾を生み出してしまった「空気」にとても興味があります。これら不祥事は一人の経営者の独断によるものでありません。何代にもわたり、その時の経営者が組織ぐるみで不祥事を起こしています。この点が、他の国の不祥事と少し一線を画していると思うのです。

 

例えば、VW(ヴォルクスワーゲン)の排ガス不正問題。規制の厳しいアメリカ市場において、試験をパスするようにソフトウエアを改ざんしたと言うのが事の顛末ですが、この原因は、VW社内の経営陣の権力争いと、一人の経営者のいき過ぎた拡大基調が原因でした。現在はEVに舵を切り、見事に回復を図っています。

 

一方で、東芝に限らず、日本の不祥事の特徴は、「組織ぐるみ」という点です。神戸製鋼にしても、三菱自動車にしても、「何年にも渡り」「組織ぐるみ」と言う点が見事に一致します。

 

このことから読み取れるのは、日本人は、組織への同調圧力が強すぎるのではないか、という点です。終身雇用・年功序列という日本の人事システムは、現在では多少緩くなったといえども、大手企業を中心に色濃く残っています。このシステムが機能していた時期もあったのですが、現在はそれが逆に、労働市場を制限することになります。

 

こうなると、経済が安定している時にはよかったのですが、経済が不安定の場合には、被雇用者にとっては、辞めても次にいくところがないというマイナスの面が強まってしまいます。彼らにとっては、たとえ明らかに不正を強要されたとしても、逃げ道がない・退路を断たれてしまっているために、「会社のために」といって手を染めていかざるをえない、ということになってしまっているのではないか、そう思ってしまうのです。

 

話は全く変わりますが、かつてお笑い芸人キングコング西野亮廣さんが、テレビ番組収録中に、ディレクターの態度が気に入らないといって途中で帰るという事件が起きました。しかし西野さんによれば、彼がそれをできるのは「私にはテレビ番組に出なくても食っていけるから」だといったのです。少し文脈は異なりますが、こうした「逃げ道があるかどうか」というのも、組織の圧力で自分にとって不利益になることを断れるかどうかに関係してきそうです。

 

今働き方改革で、人事制度を変えようとする動きがありますが、不正をさせないためにも組織の流動性を高めるような制度構築をしていっても良いのではないか、そう思ってしまいます。

 

では、では