岡本 勉『1985年の無条件降伏~プラザ合意とバブル~』〜読書リレー(62)〜

日本の「失われた20年」の原点は、1985年にあったようです。

 

1985年の無条件降伏 プラザ合意とバブル (光文社新書)

1985年の無条件降伏 プラザ合意とバブル (光文社新書)

 

 

1985年のプラザ合意から現在に至るまでの日本政治経済についてまとめた本です。著者はジャーナリストで、プラザ合意の際にも現地で取材を行なっているため、その当時の空気感や人々の感じ方についても記述があり、とてもリアリティが感じられる本です。この点が、他の単に歴史的事象を記述したほんとは異なる、本書の大きな魅力です。

 

プラザ合意とは、1985年にアメリカが主導となって、G5の場で議論された、「それまでの円安を円高に是正する」ことに対する合意です。合意当時85年9月日本円ードルのレートは1ドル=240円前後でしたが、この合意を機に円高が加速、86年早々には1ドル=190円台にまでなります。半年近くで、20%近く円が高くなったわけです。

 

なぜこのような合意がなされたのか。それは、日本の製品が世界を席巻したことと関係があります。日本の製造業が円安を武器に低コストで良質な製品を次々と投入し、世界中でシェアを高めていきました。特にアメリカに対し貿易黒字が積み上がっていきました。このためアメリカの中では、「日本の貿易黒字は、安すぎる円にあるのではないか?」という考えが高まり、円をなんとかしなければ、という危機感がありました。こうした危機感が、円高を誘導するプラザ合意へとつながっていったわけです。

 

興味深いのが、当時のプラザ合意の段階においては、交渉に当たった外交官はもちろんのこと、政府関係者や財界に至るまで、全ての日本人がこの合意の影響はないと思っていたという点です。むしろ、当時この円高を歓迎するムードにあったと言います。まず一点目は、円高で輸入品がやすくなるために、デパートや商店といった小売業では円高セールが行われていきました。これは消費者にとってメリットだったわけです。二点目に、何よりもプラザ合意によって、アメリカとの関係を改善できるという日本人が少なからずいた事です。プラザ合意の後、円高が確実に進行したことによって、アメリカの要求を満たすことができた。すなわち、貿易で摩擦が起きてきた日米間の関係を少しでも解消できる、という視点で見ていたわけです。

 

結果はご存知の通りで、円高デフレが進行し、日本経済に悪影響がで始めます。そして、タイミング悪くバブルが到来、その崩壊とともに日本経済は「失われた20年」を経験することになったのです。

 

そして、このプラザ合意が、なぜ原点と言えるのか。それは、円高により製造業を中心に産業の構造が変化し、日本の経済が空洞化してしまったからだと言います。このため、いくら経済政策をして国内の生産を高めようとしても、すでに空洞化してしまったために有効にはならない、というのが現状だと言います。そして、その始まりは「プラザ合意」にあったというのです。

 

ここから言えることは、日本の経済を立て直すためには、プラザ合意をトリガーに進行していった日本そのものの空洞化を解消しなければならない、というのが本書の主張です。まだ日本は、「日本のものづくり」に固執している気がします。いいものを作れば世界はきっと認めてくれるという、見方を変えれば作り手のエゴが満載の「プロダクトアウト」的な発想を行なっていますが、1985年の前と後では、状況が全く違っていた、というのがわかります。すなわち、「日本のものづくり」がすごい、というのは、今はもう昔の話、という可能性が高いのです。このため、ものづくりに変わる新しい産業を育成する、これに尽きるのではないかと考えさせられてしまいました。

 

では、では。